働きものの寝顔

先日ふと見つけた昔の写真があった。
私がまだ幼稚園にも上がらないぐらいの頃の写真だ。
こたつに入って寝ている私の横で、母が同じように居眠りしている。
普段着の格好だから、昼寝でもしていたのだろう。
うちは近くに親戚もなく、ずっと3人住まいだったから
この写真を撮ったのは父だと思う。


その写真に写る母の顔を見て、ちょっと不思議な印象をもった。
「働き者の顔だなあ」と、不意に感じた。
寝顔なのに働き者というのはおかしいかもしれないが、
すごく疲れている人が、つかの間の休息を得たときに見せる
寝顔だなあ、と思ったのだ。
忙しく、家を空けがちだった父がそばにいたのだとすれば、
それが手伝っての気の緩みだったのかもしれない。
 母の寝息が思い出されるようだった。覚えているはずもないのだが、
私が物心つく以前から、一生懸命、育ててくれたのだな、と思った。
いつも気を張っている人が、フトしたはずみに見せる、
「作れない表情」がそこにあった。

 
「盆暮れしか会わなくなると、驚くよね。親が老けちゃってるのに」
そんな言葉を聞いたのは何かの本だったか、それとも誰かの言葉だったか。
そのセリフがフト強く身にこたえた。せめて顔を見せることぐらいしか、
孝行も出来まいと思い、先月の連休で久しぶりに帰省した。
 東北新幹線を降りて待ち合わせの改札に向かうとき、私は少し緊張した。
二人は変わらず元気だろうか。もし老け込んでいたら、
どうしようもないが、どうしようか。
 幸いにも親はまったく印象の中の容貌と変わっていなかった。
これから加速していくのかもしれないが、ともかくも、よかった。
時が止まっているかのように、特に母は変わらない。
「子の欲目」なんて言葉、あるのだろうか。
「老けませんね」と言ったら、ニベもなく「おかげさまで」と母は返す。
憎たらしいものだ。


あの写真から27年ほど経った母が、同じようにこたつで寝ている。
違うことは、老眼鏡をかけていることだろうか。
とってあげようかと思ったが、やめた。
ストーブにかかっているヤカンから、湯気がずっと立ちのぼっている。


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