俳優と「声」―水野真紀に対する勝手な要求―

水野真紀

はいすいません、昨日はブログさぼってました。
先日亡くなったアリダ・ヴァリへのオマージュを
書いてあります。映画好きの方は読んでみて下さい。
今日は我ながらアツイこと書いてしまいました。
勢いに任せてアップしてみます。俳優論、めいたことです。


俳優と「声」
先日「はなまるマーケット」を見ていたら
TBSのベテランアナウンサー・吉川美代子が講師となって
「アナウンサー訓練実習」みたいなことをしていた。
その内容はごくごくフツーでなんの感慨もないのだが、
曜日レギュラーの「水野真紀」に対してことごとく
「おなかから声が出ていません」と注意する吉川さん。
これがまあ……実に痛快だった。よくぞ言ってくれました。
オヤジっぽくいえば「溜飲が下がった」、これですね。ふー。


個人攻撃をするつもりは毛頭ないが、
水野真紀は芸能界の中でも一、二を争う「悪声」だと思う。
うーん誤解されそうだなあ、正しくいうと、「声の出し方を知らない」のだと思う。
そしてそのことを「別になんとも思っていない」というか
「気づいてすらいない」のじゃないか、と私は思ってしまうのだ。
せっかく恵まれた環境にありながら、発声のレッスンに行こうと思えば
行ける身分でありながら、デビューよりこのかたずっと同じ話し方。ずっと同じセリフ術。
いい加減気づいてくれよ、頼むよ。


元々の声質が悪くても、発声の勉強と努力次第で「個性的な声」に変えることは
いくらでもできる。女優の最大の武器は顔でもスタイルでも夫でもない。「声」だと思う。
声の出し方、通し方をしっかり学んで、ささやきから悲鳴、嬌声から絶叫、
怒声、歓声、などさまざまな表情の声を出し分けられる、悲鳴ですら
「売り物」になる声をプロの俳優は出せなければならないと思う。
自分の「声」から、訓練された商品としての「声」に変えなければ
演技上の「声」にはならないのだ。どーして最近の俳優ってそのへんのところに
鈍感なんだろう。「地声」でなんでも演じちゃうんだろうなあ。
耳をつんざくような悲鳴や怒号をリアルに出せば
「熱演」「一生懸命な演技」とか認められちゃう。褒められちゃうのかなあ。
悲しいときは思いっきり泣いてわめいて、助けを求めて瞳を閉じて君を描いて。
怒るときは息巻いて髪振り乱して暴れまくって。


ずっと昔に小津安二郎は語っていた。
「人間、悲しいときはそんなに泣いたりしないもんだ」
「表現したいものは、隠せ」
そういう「ナチュラルなリアリティ」とかって
まーったくみんな理解不能なモンだろうか!? そんなに古臭い演技論なんだろうか!?
そういうのが正しい考え方だから、今なお『東京物語』って輝くんじゃないのか。
高峰秀子なんて悪声中の悪声だと思うが、現在でも演技派スターとしての名声は
揺るぎない。その悪性を「個性的な声」にかえるべく様々な表情を声に含めたからだ。
原節子なんて奇怪な声といって差し支えないと思う。
あんなにくぐもった声だが、表情演技の豊かさでそれすらも魅力にした。
若尾文子岸田今日子をかつて四方田犬彦は「もっとも魅力的な声の二大女優」と
評したが、この二人の発声法への研究はすさまじいものがあったって聞くしね。
水野真紀からエライ話が飛んでしまったし、そこまでなぜに厳しくこの女優に
要求を突きつけるのか自分でもよくわからないが、真紀ちゃんよお、頼むよ。
(急におっさんモードに)
あなたはとっても恵まれた人だと思う。そして結構な役をもらってる女優だと思う。
あなたの後ろや下には演じたくても演じられない人がいーっぱいいるんだよ。
ケーキ焼いたり選挙応援するのも大事でしょうが
「責任と自負」を持って演技して切磋琢磨してほしい。
東宝の目玉のひとりなんでしょうからね、もっといい女優さんになって下さい、
お願いします。はい、綺麗にまとめたツモリ。


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