中目黒「尋」の黒板
土曜日は食の楽しみを書いていこうと思います。
先週から始めたコーナーですが、私の楽しみといえば飯ぐらいしかないのです。
今日は一番大好きな、「ひとりメシ」の愉悦について。
●中目黒「尋」のカウンター
○先に追記
ご主人と一緒にやっている板前さんが2009年8月の段階で再訪した際、人が変わってしまった。「対・客」に対する接し方の受け止めは人それぞれだから明記しないが、ある食材のことを「ああ、それはまずい魚だよ」と一刀両断されたの私は無性に腹が立った。どういう状態でどういう人間にその食材を提供されているのかわかったもんじゃない。それでこの世に生を受けた食材に対して「まずい」と客に向かっていう無神経が許せない。たった一回で食材の味を断罪するような、それもカウンターの向かいの「客」にネガティヴイメージを食材に対して植えつけるような行為は断じて板前のするべきことではないと私はないと思う。
この店はもう行く価値がない。だから以下は読まなくていいです。昔の単なる記録。
黒板に書かれた日替わりのメニューをぼんやり見て、
あれにしようかこれにしようかと、ひとり迷う時間が好きだ。
「迷える」ということは、すでにそれだけで最高の贅沢だと思う。
板前さんが考える献立と、自分の「好み」がガッチリ合う店自体、滅多にない。
また献立が好物ばかりだとしても、板前さんの「腕」がなきゃしょうがない。
さらにはうまくても、「値段」がホドホドでなけりゃあ酔っても不安。
みっつがひとつとなって、初めてこの楽しみは生まれてくる。
「お通し」、というものを最近は「結構です」と突っぱねる人もいるらしいが、
この「みっつ」が重なった店では、大事なものだと思う。
もずくやつぶ貝の煮たのなどを少し噛みしめつつ、一杯目のビールを流し込む。
大きく「ぷはあ」と嬉しい溜息をついて、おもむろに黒板と相談する。
この悩み時間の「おとも」が、お通しなのだ。
あれもこれも食べたいが、「適量」が肝心。「順番」という問題もある。
生ものから頼んで、煮物、揚げ物……でも焼き魚も食べようかなあ、
ここの桜海老のかき揚げは絶品だしなあ……そんなバーチャル・オーダーの繰り返しが、
気がつくと一杯目の「アテ」になったりもする。我ながら安上がり。
こうるさいことを考えていても、飲んでいるうちにどうでもよくなって、
結局いろいろ頼んでしまったり。
一人酒、というと侘しいばかりという人もいるが、
こんな無為な時間が、私はむしょうに好きなのだ。
●今日の一軒・炭火焼「尋」
目黒区上目黒3−5−22
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