6月新橋演舞場公演「和宮様御留」 

ばけものたち

橋本龍太郎元首相逝去。
たばこをくゆらせ選挙速報での圧倒的敗北をみながら
「ちっくしょう……」と呟かれたあのシーンが忘れられません。
あういう放言が問題にならなかった最後の世代の人でしょうね。合掌。
さて、今日は芝居の感想。すっごく長いので、
興味のある方だけどうぞ読んでください。


■■【ステージ】和宮様御留■■
さて、先月「なんだこのキャストはッ! 加納幸和率いる花組連中、
小川眞由美にピーター、波野久里子など新派連中……ある意味『異形』のものたち
ばっかりじゃあないか、楽しみ!!」などと騒いでいた
新橋演舞場六月公演「和宮様御留」(作・有吉佐和子)ですが、楽日一日前に拝見して参りました。ん、で。
アラ、は死ぬほどある。ミスキャストやら無駄なシーンの多さ、
小劇場的演出と演舞場という小屋とのミスマッチ、余計なロマンスや
個々の役者に配慮した要らない見せ場の退屈なこと……もうドラマとしては散漫もいいとこでした。
原作自体がすっごく面白く出来てるから損なんだろうなあ。
そこをどう劇化するかというポイントにおいて、加納幸和という人は、
甘く言って「欲張り過ぎ」だった。(厳しくいうとまとめきれず大失敗)
花組芝居公演ならこれでいいんでしょうけどね。はい、嫌味です。


●固いこといわずに
けれども、私はこの芝居を面白く観た。
ていうか、この作品に一般的な芝居の面白さを求めるなんて……そもそも間違いじゃないか!? 
誤解を恐れずにいうと、歌舞伎とか純新派の作品と同じように楽しみゃいーもんじゃないでしょうかね 
(どっちのファンからも怒られそうだけど)。ご贔屓役者が出てきたときに
「キャー素敵」「うわーお化け」などと、その「役者っぷり」を堪能してれば、それでいいもんじゃあなかろうか。
退屈なところは寝たり食べたりしてやり過ごせばいいじゃないか。
ひとつのドラマとしての面白さや、有吉文学の劇化なんて最初から期待するようなモンじゃないと思うけどなあ。
(まあ明らかに松村雄基となんだか知らない女優のラブシーンは
ドッチラケで引いたけど。どういう政治的配慮か知りませんが)


●原作至上主義ってなんだ?
よく疑問に思うんだけど、「芝居の劇化」に対してホンッとに口やかましい連中というのがいる。
「原作はこんなこと言ってない」「作者の精神を無視して……」とかよく言うのだけれど、
大抵はあら捜しのレベルを超えられてないものばかりなんだよなあ。いいじゃないか原作と変わったって。
原作のある芝居は「変質」しちゃダメだけど、表層や構成は「変化」しても一向に構わないと私は思う。
その作品の「本質」さえ掴んでいればいいじゃないか。もっと鷹揚に楽しめないの? 
もっと「ああ、監督にはこう見えたんだ」「この演出家はあのシーンをこう感じたのか」とか比べて
楽しむぐらいの余裕はなもんだろうか。自分が理解してる原作世界とちょっと違っただけで
作品を拒絶する人が多すぎて……結構私は「映画好き・芝居好き」の人たちと話してると
ヘキエキしてしまう。簡単にいってそんな輩は……ヤボテンってもんじゃあなかろうか。


●わが身を振り返れば
と、ここまで書いて思う、そんなに人の事責められないなあ、とも思う。
その原作至上主義的な「一本気」って「若さゆえ」の、羨ましくもみずみずしい「熱情」だったり
するんじゃないかな、と。自分もあまり思い出したくもないが……三島・谷崎を貪り読んでた高校生の頃に
二人の作品のドラマを観て「何だこの下品な女優は! 作品に対する愚弄だ!! 死ねッ」とか
結構本気で怒り狂ったもんなあ。抗議の電話すらかけようとした思い出が(笑)。
そう、真面目なんですよね。「もっともっと本作は面白いのに、素晴らしいのに、なんで!? こんなんが
作品の魅力と思われたらヤダよ、困るよ、いい加減にしてくれよ!!」という
美しい「義憤」なんだろうな、その手の怒りは。


●オバちゃん化現象ともいう
歳をとるごとに、次第に図太くなっていくんだと思う、芝居や映画というものに対して。
「あ、ここ好きじゃないな」「いらないとこだ」と思うと自然、考えごとをしたり、
プログラム読んだりとかして、自分の中で「はいカット!」と飛ばしてしまうのだ。捨てちゃうんだ。
(いや、さすがに仕事で観るときはそんなことしませんよ)「自分の好きなところだけ楽しむ」ことが、
段々出来ちゃうようになるんだよな、これが。
「そんなの芸術に対する感性の老化だ!」と思う人もいるだろうけど、私は逆に成熟だとこの頃思っている。
嫌なところが目に付く余り、いいところも楽しめなくなるなんて、つまらないことじゃあないか。
うーん、私がヘタレてるのだろうか。


●さて本題
と、ここまでがなんと実質的には前置き! あっはははは何回目でしょうこのパターン。
まあ私の観点やポジションを説明したくってこうなっちゃったのです許して! 
そんな見方での印象ですが、やはり日本一の怪演女優・小川眞由美先生はとーっても素晴らしかった。
「大向こうを張る演技」っていうのはこういうことをいうんですね。
ひとりで演舞場全体をグーーーーッと睨みつけ無言のままゆっくり振り向き、
タメにタメて会場中の注目を集めてからグランド・フィナーレになだれ込む
彼女一流の「メンチ切り」はもう……絶品。くっさいの。たまんないの。
フランスの「リバロ」ときて、南の国の「ドリアン」ときて、ジパングの「小川眞由美」とくる。
そう、もうこの人は「女形」ですね、それを見れただけで満足でした……はい。
(あとはまあピーターと波野はさすがの演技。魅せドコわかってらっしゃる。
それ以外何も触れないということは、どういうことか推して知ってください・笑)
ドタバタでいくか新派でいくか加納テイストでいくか、ちっとも定まらない呆けた公演でしたが、
そんな混沌の中で小川眞由美という女優の資質はより一層際立っていたような気がする。
とにもかくにも使いづらい女優だろうが、もっともっと彼女の芝居がみたい。
多分、こういう破天荒な女優はもう育たないだろうから―――。


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