怒れる3人の物書きと1人のチンピラライター −最近の週刊誌から−

hakuouatsushi2006-07-19

今週は各誌、よく色んな人が色んなことを怒っていて
大変読み応えのあるいい週だった。
(私は基本的に文春・新潮・朝日・サンデー毎日を読んでいる)
「怒り」というテーマは、一番そのものかきの「イデオロギー」が如実に出てしまうと思う。
ゆえに「ムカつく!」「ふざけるな!」というストレートでトメドないパワーを持つ
エモーションながら、発表する際は極力慎重になるざるを得ないんだよね。
そのバランスを各人がどうとっているか、そこが面白い。
もう明日には新刊が出るからまるっきり時代遅れですが、
ちょっと書き留めておきたい。長いよ。


サンデー毎日中田英寿・引退声明に関して」
ストレートでシンプルに怒ってて見事だったのが「サンデー毎日」の松崎菊也氏、「今週のブーイング」。
中田英寿HPにおける彼の引退声明に関して、基本「ヘボで幼稚」と喝破。
こういう直球な非難って最も難しいタイプの文章だけど、短い文章量の中でしっかりとその意見が伝わってくる。
松崎氏の意見に諸手をあげて賛成はしないけど、
私は現在「黒木瞳」に並んで最も「すべてがハレルヤ!」「なんでもマンセー」状態になってる
この中田英寿という人に対して、こういう意見もきちんと発表されることが
正常で豊かなマスコミ社会だと思うので、松崎氏の姿勢が「偉い」と思った。
(その点、ジダンの一件に関しては「外国人」「所詮は他国の話」ということで
好悪・善悪もどう捉えるか十人十色、色んな意見があちこちで発表されている。これが本当だよね。
ジダンに対して厳しいことを言ってる人が中田やジーコに対して
同様のスタンスをとってるかというと……私には到底そうとは思えない。)

「自分探しの旅」という表現が「稚拙」と言い切られたヒデ、
奇しくもこのキーワードが他誌に繋がる。



週刊新潮
「フリーター・ニートに関して」

こちらはうってかわって、静かな思考の末に生み出された苦言、とでもいおうか。
池田晶子氏の連載「人間自身」から。
これ、とっても哲学的な書き方をしてるので一瞬難解かもしれないが、
じつに鋭い指摘であり、素晴らしい真理を発表されていると思う。


ニートたちは「自分がわからない」と悩み、
「だから自分に合う職業がみつけられない」
とどのつまり「本当にやりたいことがみつかるまで、働かない」という理屈で働かないのだ、
自分探し、などと言ってしまうのだと池田さんはいう。ほぼ正しいと思う。
彼女は「自分なんてものはない」、のであり、
「自分とか、個性といったものは他人が見つけるものなのだ」、と説く。
戦後の教育は「個性をもって」「自分らしく」と教えた結果、
こういう発想になったのだとさらに説き進め、結論として今の若者達を「一度型にはめるべきだ」と言い切る。
そこから、私にはこれはできない、結果、これしか出来ない、ということが見つかるであろうと考えている。
うーん、見事。こんなに簡潔にニート問題を喝破した人も少ないんじゃないか?
池田氏の文章は歯切れがよくてスピード感もあるのに、決して押し付けがましくないんだなあ。
ムズカシー抽象的な表現をイヤミなく分かりやすく読ませるなんて……脱帽。
裏打ちされた経験と教養、「慢心」じゃない「自信」が文章に溢れていて……そう、こういうのが
「大人」の文章なんだな。


週刊文春「おなじみ朝日新聞への提言」
といっても編集部でなく猪瀬直樹氏が書いてらっしゃいます、おなじみ「ニュースの考古学」。
端的にいって、橋本龍太郎前首相の追悼記事で、同級生であった安部譲二氏のコメントの見出しが拙(まず)すぎる、本文の内容をまったく理解してないというもの。指摘内容は新聞も読みましたが、まーったくそのとおりだとは思う。
ご丁寧に「言葉に救われた。言葉に背中を押された…(中略)…ジャーナリスト宣言朝日新聞」という
あの長ーいコピーを全文引用して「冗談じゃねえよ」と結び、イヤミにも力こもってます(笑)。
まあ、ごもっとも。だが多分猪瀬氏は、最近の新聞記者全体の国語力の低下を嘆いておられるのだろう。
そういう壮大な「上から」のテーマとして、もっと「高い」批評にしていただきたかった。
末尾がこの見出しを書いた記者への個人攻撃的になるのは後味が悪く、
批評や、何かを指摘する上で最もいけないことである「野暮」ってなモンになっちゃたと思う。
はい、コワッパは黙ってます。


●「いい加減にしてよ林真理子
ひとこと私も怒っちゃおうかな。笑
週刊文春7月13日号のエッセイ「夜ふけのなわとび」について。
あ、説明すると上の小見出し林真理子氏の名作コラム
「いい加減にしてよアグネス」からの盗用です(笑)。もう分からない人多いんだろうけど。さて、本題。


出だしがまずい。
「その講演会を引き受けたのは、とても有名なお寿司屋さんがあるところだったからだ」
(文字ママじゃないですが、ほぼこんな内容だったはずだ)
うーん……この方こういう内容の文章書くの初めてじゃないので今更な指摘だけど、
私がこの地元の人間だったらハッキリ言って傷ついてしまう。
うがち過ぎなのかもしれないが、私には
「寿司屋がなかったらこの地域には行かなかった」と読めちゃうのだけれど。
さらにはヒガミ根性で「この地域になんか」とだって思うよ。
どうして自分からファンを失うようなことをするのかわからない。
講演会なんて、はっきりいってお金のためにいくのだ。
もちろん、何か美味しい「エサ」があっていく人もいるだろう。みんなそうだよ。
知りもしない土地に行くなんて、「私を待っていてくれるファンのために」来てくれたなんて
思いもしない。ギャラが発生してる仕事だから行くんだ。でも、わざわざ書かなくていいことじゃないか。
ひとこと、品がない。


●お知らせ

ブログランキングに登録。

1日1クリック↓プリーズ!

http://blog.with2.net/link.php?198815