萩本欽一の決断

泣かないの

●半年ぶりに、京都へ
旅行中に体調を崩し、予定を切り上げて一日早く帰ってきました白央篤司です。
雨の続く京都を歩き回ったからかな、とはいえヘタレになったものです。
ちょっとお休みしていた間の3日間のスペースを利用して、
最近思っていた細かいこと、ひとつをネタにするには弱いかな、と思ってたこと、
コアなことを書き綴ってみました。よろしければ読んでください。


いやー3日間の滞在でしたが連日そぼ降る雨。それが不思議に残念じゃなく(強がりじゃないよ)、
炎天下で汗だくになって歩き回ることを覚悟してたので、涼やかで結構でした。
古都の木造作りの家々が軒並み濡れて、普通見るのとは違う色合いに。
茶色の木目が漆黒に変わり、瓦屋根と共に重厚で、よりしっとりした風合になっていたのも一興。
今回はいろいろ面白い巡り会わせがあって、とっても美味しいものを頂けたり、
京都行きの目的のひとつでもあった、おんとし82歳の京マチ子の舞台を観たり(最高だった!)などと、
どれから書こうか悩んでいれば、いきなりのニュースに驚く。


萩本欽一の決断
家に着けばいきなりテレビから萩本欽一の「やめます!」という哀切極まりない声が。
えッ引退!? と早合点しましたが、遅ればせながら知りました、極楽とんぼ山本圭一の事件。
この方の不祥事(というか、犯罪か)については興味がない。
私が思ったのは、「えっ? この人および球団に責任ってあるの!?」ということだ。
うーん……高校野球じゃないんだからさあ。「チームメイトの健全なる精神育成のための野球」じゃなく、
「社会人も楽しくやろうよアマチュア野球」なんじゃないの? 監督にナインの生活指導責任まであるもんなの!?
たまたまチームで訪れた試合先での事件じゃなかったら、彼は解散を決意したのだろうか。


士道不覚悟!
などという私の考えは「机上の論理」なのかもしれない。
各方面ではこの即断を「あっぱれ」とする向きも多いようなのだ。
よく言われることだけど、日本における「野球」というものはスンゴイ精神論的世界で、
オヤジ達の心の琴線をかきたてるセンシティブなもの、なんだねえ。改めて思う。どーしてこう話が大きくなるのか。
「野球に失礼なことをしてしまった」という萩本欽一のひとことは
相当各方面の「オヤジ」達の心を打ったようだもんなあ。
ファンでも誰でもなく、「野球」というこれ抽象的なものに対して
申し訳ないと謝罪する萩本欽一。まるで武士道の世界。「恥」を知ることを何よりも大切にする、あの世界。
おもわず皆の声が時代劇トーンに聞こえてきますね。
「上様(野球)に対し失礼極まりないことを致し大変申し訳なく候」
「かくなるうえはこの身をもってお詫び申し上げ候」
「なんと見事な」「そこまでのお覚悟を……」「あっぱれ」「武士(野球)のほまれじゃ……」
こんなやり取りがテレビから聞こえてくるかのよう。
そう、萩本欽一は山本に「士道不覚悟!」と怒っているのでしょうね。
それは「お笑い道」というものを外した彼への怒りでもあるんだろう。


とはいえ彼も随分衝動的に「解散」を決めてしまったようで、
今朝は一転、TBS系列「朝ズバッ!」ではみのもんたの電話インタビューに応え、
その迷いを相当直球にに告白していた。あの会見後色んな電話やらFAXをもらって、
(多分褒貶どちらも相当数あったのだろう)
「もうさあ、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃったよぅ……」とか細い声で述べていた。
うーん……こっからは感情論だが、小さい頃に「欽ちゃん」に腹よじれるほど笑わされた私は、
こんな弱々しい彼の声を聞くの嫌だなあ。まあ同時に
「周囲の盛り上がりによっては存続もあるな」、と反射的に思ってしまった自分もいるが。
うまくまとめられないが、「野球」という、
スポーツを越えた「何か」の摩訶不思議さを、改めて今回も感じた。


●お知らせ

ブログランキングに登録。

1日1クリック↓プリーズ!

http://blog.with2.net/link.php?198815