京都のたべもの日誌

hakuouatsushi2006-07-24

 先日も書きましたが、京都に行ってきました。
 いやー3日間の滞在でしたが連日、雨。でも、霞がかった東山をバックにのぞむ祇園は不思議な美しさでした。古都の木造作りの家々が軒並み濡れて、晴れの日とは違う色合いに。茶色の木目が漆黒に変わり、重厚で、よりしっとりした風合になっていたのも一興。
 炎天下で汗だくになって歩き回ることを覚悟してたので、涼やかで結構でした。今回はちょっと食べ物のことを書いてみたいと思います。


■■私の食べもの日誌・京都編■■


 梅雨のそぼ降る雨の中、私は花見小路にいた。
 もうすぐお昼になろうとする頃合いで、美味しそうな料理屋さんの品書きが、そこかしこに溢れている。優柔不断もきわまれり、どこに入ろうか決めあぐめていたときのこと。


 向こうから、落ち着いた感じのご婦人が歩いてきた。お素人さんとも粋筋(いきすじ)ともつかない風情、小柄で質素な身なりだけれど、どこか上品な雰囲気。
 そのとき、どうしてか分からないが私は「この人、できる……」と思った。ピンと来た、としかいいようがない。


「このあたりのかたでいらっしゃいますか」


 雨の中声をかけ足を止めさせるなど、不躾な行為だが、なるたけ丁寧に声をかけてみた。
 私は旅に出ると、すぐに人に尋ねる。美味しいものを知ってそうな人に声をかけて、訊いてしまう。はしたないこととは思いつつも、「ピン」と来る人を見つけたら、聞かずにはおれないのだ。
 ビニール傘に長靴、買い物帰りという感じがいかにも地元。そのご婦人は、多分還暦をひとつ、ふたつは過ぎているだろう。「なり」こそ簡素でこざっぱりとしているものの、よく見ればきれいに髪は整えられ、鼈甲の趣味のよいイヤリングをしている。

「観光客なんですが、お昼どころを探しています。いきなり失礼かと思いましたが、おすすめがあれば教えて頂きたいのです」




 ここで忘れてはならないのが、「あなたがおいしいと思うところで結構なのです」と付け加えるところ。美味しいものを知っている人、というのはサービス精神旺盛な人が多い。美食、という自分を楽しませる行為に長ける人は、えてして他人をも楽しませることに心を砕く人が多い。そういう方に「美味しいものを教えてください」と言っても、
「あなたの趣味が分からないから、何処をおすすめしていいのやら……」と
 困らせることになってしまう。自分がすすめたところが、相手の口に合わなかったときほど、美味しいもの好きが落胆することはない。ゆえに、「あなたの好みにお任せします」というひとことを添えないと、こういうときに思うような言葉は引き出せない。


「私が好きなところでよければ」
 といって彼女が教えてくれたのは、四条河原町のとある割烹。


「私がお客様にご紹介するときはいつもこちらにしてるんです。みなさん美味しいゆうてくれはりますし、間違いないと思うんですが……どうしましょう」
 即答で的確な答え、明朗な話しぶり。たおやかな中に感じられる絶対の自信。ふふふ、やはり私の見立てに狂いはなかった。ええ、ぜひぜひお願いいたします。でも、「お客様」って……?

 え? ふんふん、円山公園そばで西洋骨董のギャラリーを経営されてるんですか、そうですか、みなさん美味しいって言われるんでしたら間違いございませんでしょう。嬉しいですね私は客でもないのに教えていただいて……。
 これはヒットに違いないと嬉しくなり、にわかにコーフン楽しみになっていく。
 それで、そこはどうやっていけばいいんですか?


「いきなりでは入れないお店なんで、私が今お電話して予約すれば大丈夫かと思いますが、どうしましょか」
 え……それってひょっとして……「一見お断り」の店なのですか……。
 

 きっと……、高い。
 いや間違いなく絶対エクスペンシヴ。それも4、5千円ではすむまい。まさかそんな格式の高いところを紹介してくるとは……。あ、ああ、あのう、そこも大変結構そうなんですが、ほかにもおすすめございますでしょうか?
 え? この辺ではそこが一番で、他は落ちますよって……ああそう、自信たっぷりね……でもねえちょっと……。


「雑誌に出るようなとこでしたら、いくらでもございますんですが」。
 このひとことが、私のプライドを大変強く刺激したのは言うまでもない。私も腐ってもライター、目の前で「皆が知らないようなところ」を教えてくれるというのに、行かない手はあるまい。それに「観光用に気軽に入れるところなんか美味しくなんかないのよ」と、にわかに挑発されてるような気になってきた。よーし行ってやろうじゃないの。よっしゃ!
「おいかほどなんででしょう」


「お昼は一万円のみですわ」


 ………………………………。
 雨はずっと降り続いている。心なしか「一万円」のセリフあたりで、ことに雨足が強まったような気がする。
 私は黙ってしまった。ご婦人も黙ってしまった。どうしよう、どうしよう。ああっ、この無言の間は多分10秒もなかったと思うが、そのときは永遠に思えた。そのご婦人の白いブラウスの肩の辺りが、心なしか先ほどより濡れてしまったようだ。花見小路の石畳に雨粒が跳ねては消える。心を決めた。
「お願いいたします」


 そこからは堰を切ったようにトントンとことが進んだ。へえ、それならと携帯を鳴らし、女将さんが出たのだろうか、「ツーカー」という感じでやり取りが行われる。
 あ、Nですけど、先日はありがとうございました。これからおひとりさんお願いしたいんですわ、へえ、大丈夫、では、よろしゅうお願いします……。
「入ったらNの紹介で、と仰ってください。あんじょうしてくれると思います」
 ああ、思い切ってしまった、などと考えながら適当に相槌を打っていたのだろう、すぐそばまで送ってくれたご婦人のおっしゃることは、余り記憶にない。ただ丁寧に礼を述べて、お店へ。




 にぎやかで観光客でごった返す四条通からひとつ入れば、別世界。古い日本家屋の軒の下、暖簾を越えて引き戸を開けて店に入る。現世から異空間へ越える関所のよう。
 ぼんやりとした明かりに満たされたカウンターに一人座る。
 

 そのあと期待通り、それは見事な夏の京料理を頂いた。もちろん味は申し分ないし、「N」さまのお陰か、みなさん野暮な初客の東男に対しても優しいこと。損をしたような気分にはちっともならなかった。
 しかし何か、自分から声をかけたにもかかわらず、「狐に化かされた」ような気分だった。出てくる食事がみんな冗談のようで、美味しければ美味しいほど、ほっぺつねりたくなってくる。それは悪い心もちじゃなくって、私はなんだかおかしくなってきた。妙に愉快だった。
 あれは京都という古都がみせた白昼夢のような、不思議としか言いようのないひとときだった。


●割烹 千花
京都市東山区四条通縄手東入南側 075-561-2741
※予約、それも紹介者が必要
 料理はもちろん、こと器は素晴らしいものだと思う。カウンター越しの棚に見えるそれらは、青磁白磁伊万里はもちろん、明治時代から昭和初期にかけてのガラスの器の数々がまた美しく、目に楽しい。




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