『ローズ・イン・タイドランド』

hakuouatsushi2006-08-02

こんにちは、さっき自転車操業、じゃない自転車運転中に
いきなりカメムシに肩飛び乗られて死ぬほど驚いた白央篤司です。
うぎゃああッ! もう怖かったのなんのって。
「振り払わなきゃ!」「でも死んでもつぶしたくない!(臭いから)」
そんな計算を0.3秒ぐらいでグルグルと。靖国通り運転中ですよ恐ろしいッたらありゃしない。
なっかなかカメムシ飛んで行ってくれないし。ひーん。曙橋にはまだまだ昆虫がいるのですねえ。
はい、つまらない前説でしたが今日は映画の感想を。


■■『ローズ イン タイドランド』■■


 はっきりひとこと、「ノレなかった」。
 監督、テリー・ギリアムが(多分)「おっもしろーい!」「うひょー」と
思ってるであろう世界に遊べなかった。馴染めなかった。というよりも更に突っ込んで、
「ダセえ」とまで思ってしまった……。あああ、これじゃ悪口だよダメだよつまんないよ、
くそっ、うまく書けないなあ!
 お話は端的にいうと、ひとりの少女の内的世界をジックリ描いた作品。
一部の子供たち特有の、想像力や夢想の世界(単なる押入れや、隣の家との隙間さえもが
「アドベンチャー」的空間になっちゃうような、そんなイマジネーション)を映像化したものだ。


○あふれるデジャヴ感 
 うーん……はっきり言って私がノレなかった理由は、
どの映像に関しても「本当にそう見えたのかよ!?」というこの点に尽きる。
主人公のローズが遊ぶ空想の世界が、どれもこれも「なんか以前に見たような」ってな
「デジャヴ感」があるものばっかりなんだよね。「不思議の国のアリス」との類似点は
みんな指摘するところだろうけど、「ああ、世界がテリー・ギリアムにはこう見えちゃってるんだなあ」という
ナチュラルな説得力に欠けるんだよなあ。フェリー二とかデヴィッド・リンチの作品にひしめくような、
「俺には世界がこうとしか見えん!」という監督の圧倒的な信念とか、自然な気持ちが感じられないんだよね。
 主人公ローズは可愛らしさにおいて出色、いい子役だと思うがこれも「平均的美少女」という感じで、
もっと異形的な雰囲気のほうが作品には合うんじゃないか? と思ってしまった。
ブリキの太鼓」のガキのようなちょっとした「気持ち悪さ」がないと、子役ってのはダメだと思う。
周囲の人間の「変わり者具合」もこれまたありがちなものばかりで、
ヒドイいい方だが「記号的」変わり者ばかりだった。
なーんか作為的に思えちゃったなあ、すべてがよう。
考えに考え抜いて作られたお化け屋敷とかテーマパークを歩かされているような感じというか。
美味しくしよう、美味しくしようとして色んな素材やテクニック使って作った料理を
食べさせられてるような感じというか。


○ちゃんと闘ったのかー? 
 書くことでもなんでもそうだけど、うまくその部分の主人公の感情にフィットする表現や言葉が見つからないと、
作り手っていうのは「ありがちな表現」「前にもう誰かがやったこと」を思いついてしまいがちで、
そこを絶対避けて自分だけの言葉、自分だけの表現を格闘して見つけなきゃいけないと思う。
(簡単にいうと、「愛してます」という告白をしようとしたら、どんなシチュエーションがドラマティックで
印象的か、ということを恋愛小説家やら、恋愛映画の作り手なんかは意趣を凝らしたりするわけだ)
 また、そこが思いつかないなら思い切ってそこはカットするとか、
自然に思いついたことだけで勝負しなきゃならないんだと思う。
 この映画には、(少なくとも私には)そういうバトルやオリジナリティを感じられなかった。
などと偉そうにねえ、名匠テリー・ギリアムだからこそこんな風に書いちゃうのかもだが、
未来世紀ブラジル』にかつてコーフンした私はちょっと寂しかった。
 ああ、褒めるところをキチンと見つけて映画を愛しなさいという、
尊敬する川本三郎先生の教えを今日も破ってしまいました……。
 しかし、本当にそう思ったのだから、仕方がない。ちょっと真面目に今日は終わってみます。


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