亀田興毅に思う「カンケツ・ファミリー」

hakuouatsushi2006-08-03

よくしゃべる子だなあ、と思った。
はい、亀田興毅のインタビューを昨日の「NEWS23」(TBS系)で見ましたが、
なんなんでしょうねこの19歳にして「人生譚を語る」感じは。
いちいちすべてが「やっぱりなあ……」「ほんまになあ……」という
「タメ」の接頭語を付けてエピソード的に語るんだね。すべてがドラマティック。
「闘ってるうち、今までのことが色々目に浮かんでくるねんなあ、そんなことは初めてやったよ」
「俺のことも嫌いな奴見てるやろ、せやから嬉しかったと思うでえ、俺がダウンしたやろ、
でもそこで負けるかっちゅーねん、底力はいくらでもあるんや」みたいな感じで語る語る。
私は彼が何か言うたび、「ひとり・いつみても波乱万丈」というフレーズが脳裏に(笑)。


●親に対して出来るのなら
いや、いーんです。勝利の美酒にどう酔おうが勝者の勝手。
努力が報われたのだから素直に賞賛したいし、なんたって世界チャンピオンだもの。晴れがましいことじゃないか。
彼の「全国にタメ口」というスタンスも、「ボクシング馬鹿」という感じで不思議に腹は立たない。
 けどね、ひとつだけ野暮なことを書かせてもらう。こんなことを思った。
「オヤジのボクシングが世界に通用できると証明できて嬉しい、お母さんも生んでくれてありがとう」という
彼の言葉は、日本中の中年世代に対して非常に「ウケた」ろうなあと思う。
「なんと健気な」的に心を打たれた人は多かったじゃあなかろうか。
しかしこのスタンスこそ、今の日本をよーく表してると思う。
親にのみ感謝の気持ちを表す亀田兄弟。親には敬語の亀田兄弟。
「利害」「信頼」のあるところにのみ礼を尽くすんだよね。他の人にはお世話になってないものね。
そして他人に対して敬語を使わなくても注意しない亀田兄弟の親。
テレビに出てあんな口調で年上の人に対して話し、サングラスをして出てることにも注意しない親。


●「うちはうち」という意味の変質
多分、親が言ったら彼らは素直に直すんだと思う。
「人生訓」っぽく話すのも、親父さんがそういう人なんだろうねえ。
彼の敬愛するおとうちゃんの話しぶりが見えてくるようだったもの。
まさに純粋培養、という感じがよく分かる。親子内だけで完結しちゃってる「ルール」で生きてる亀田ファミリー。
 でもね、それでいいのだ。というよりも「通っちゃう」のだ。
彼は世界のナンバーワンなのだもの。かつての「ひばりファミリー」の構造とよく似ている。
(と、言いつつも彼等はその口調・態度において限りなく「横山やすし木村一八親子」を思い起こさせるのだが)
こういう家庭ってすっごく今多いんじゃなかろうか。自分の家庭だけで通用する「常識」で行動しちゃって、
間違った意味での「うちはうち」理論で押し進める。かつては「うらやましがりません、うちはうち」だったのが
「文句言わないで、うちはうち」という迷惑かけてないでしょ、的なワンマンな意味合いに変質している。
「うちはこういう教育法ですから」という理論で通して「他人に言われる筋合いはない」という
唯我独尊ファミリー、ひょっとしてもうこれが大多数なんじゃなかろうか。
(あくまで仕事上の)結果を出してるか否かのみが、彼等と亀田家との違いだけれど。
 ただ亀田興毅も浮かれてはいられない。ひとつ予言するがあういう尊大な態度ってのを、
結構マスコミは執拗に忘れないものだ。(田原俊彦がいい例)彼らが負けこんだとき、
絶対にマスコミは手のひらをマッハで返す。親はそこまで教えてあげているだろうか。
 ああ、世の中の「バカ」ってのはおうおうにして表層だけ真似るからなあ。
大きなお世話だけど、スタイルだけ「亀田興毅的」になるガキが増えるのだけは勘弁してほしい!
頭も悪くてスポーツも出来ずに礼儀もないなんて最低だもの。はい、余計なお世話。
 おめでとうございました。


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