時間の勝手な強奪 ――山口県女子高専生殺人事件
10年間ぐらい、ピアノを習っていた。
6歳ぐらいだったか、テレビでとあるピアニストが演奏してるのを見て、
すっかり私は「カブれて」しまったのだ。きれいな音だなあ、カッコいいなあ、
あんなふうに弾いてみたいなあ……そう思うやいなや、親にねだってお願いした。
自主的に何かしたい、習いたいと言ったのはそれが初めてのことだったようで、
親は今でもハッキリその時のことを覚えているのだそうだ。
ピアノ弾きたいよ、やりたいよとせがむ私を、両親はどんな思いで見ていただろうか。
それほど今の自分の歳と変わらない父は偉かった。
ほどなくしてアップライトのピアノが黒光りも鮮やかに、うちのに居間に鎮座ましました。
お父さんありがとう、などと殊勝なことは当時の私は言わなかったに違いない。
当然のようにただ喜ぶばかりで、弾きなぐっていただろう。
今なら、買ってくれたことがどんなに大変なことか、身にしみてよく分かるというのに。
月賦だったのかもしれない。新品ではなく、実際は中古だったのかもしれない。
しかしながら、いずれにせよ並々ならぬ額のものを買ってくれたのだ。思い返せばただ、ありがたい。
そしてヤマハ音楽教室の門をくぐった。
おけいこが始まる。バイエル、チェルニー、ハノンという指の教則本が綿々と続いていく。
習ったことのある人なら分かるだろうが、これがまたおっそろしく退屈なもので、
なんども投げ出しそうになってしまう。しかしながらこれをやらないと美しい音、
テクニックをこなすだけの「手」が出来上がらないのだ。
スポーツで言えば基礎訓練、筋トレのようなものだろうか。避けて通れない道なのだ。
とはいえ、大人になってからそれは分かることで、ちっとも基礎トレーニングをしないで
弾けもしない美しい曲にトライする私を、母は厳しくいさめて、向き合わせた。
それはまるで日課のようなやりとりだった。
「あなたから習いたいっていったんでしょ」
…………間違っても軽率なことを言うもんじゃないと深く心に思った。
ヒーンと軽く涙を浮かべながらピアノに向い、
チェルニーチェルニー……タイムマシンがあったらこのチェルニーとかいう男を殺してやりたい……。
そんなある日、どうしても今まで弾けなかった曲の一部分が、それこそサラッとこなせるようになって驚いた。
知らずのうちに薬指と中指(最も鍛えにくい指)の筋肉が付いていて、
細かい音符がびっしり並ぶ部分もリズミカルに弾けるようになっていたのだ。
弾き終えたとき、自分でも嬉しい気持ちになっていたら、後ろで聞いていた母が
「今日のはいつもと違ったわね、よかったね」と言ってくれた。それから、チェルニーが少し嫌いじゃなくなった。
そんなことの繰り返しだった。
「ピアノのことは分からないけど、あなたが怠けてるからできないのよ」
「今の演奏は素敵じゃない。どこがどうとは言えないけど、よくない」
そんなハッパをかけられてはコンチクショー! とブチ切れて喧嘩をしたこともあった。
また、それなりに仕上げることが出来れば、「こんな綺麗な音楽を弾けるようになったのね」と
心から喜んでくれたりもした。そんな年月の中の小さなひだひだを、ピアノは私と母の間に生み出してくれた。
そして、それは父が稼いで買ってくれたのだ。
山口県周南市で女子学生が教室で殺されるという事件があった。
昨日その犯人と目された同級生の男子が自殺という形で発見、結局真相は謎のままとなる後味の悪い事件だった。
この殺された女子学生はピアノを習っていたそうで、発表会だろうか、
ショパンの流麗なポロネーズなどを演奏している姿がよくテレビで報道される。
私はその姿を見るにつけ、このお嬢さんにも私と同じ一瞬一瞬があったことに違いないと思う。
そして胸が締め付けられるような思いになる。毎日毎日、あの単調な指の練習を繰り返し、
親と共にはげましあい、ときに叱られながら生きてきた、
かけがえのない人間の「歴史」が一瞬にして無に帰してしまったのだ!
彼女の家のピアノをご両親が今見つめる心中を思うと、胸が潰れてしまうような暗澹たる気持ちになる。
加害者との間にどんな修羅があったのか知る由もない。加害者による自己中心的な無理心中、
と片付けるのは簡単だけれど、殺人、ということは即物的なことじゃなく、
「大いなる時間の勝手な強奪」なのだなと、改めて感じさせる事件だった。
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