ニッポン先生考

大先生

 かつて、ニッポンの芸能界には「先生枠」というものが、あった。
 あった、と言い切ってしまったが……厳密にいえば、この「先生枠」は現在絶滅しかかってる。なぜこんなことを唐突に言い出しているのかというと、それは先日「徹子の部屋」見ていたときのこと。ゲストは「中尾ミエ」だったのだが、こんなやりとりがあった。まず聞いていただきたい。


ミエ「徹子さんいくつまでやるつもりなの?」
徹子「あたし100歳までやらせて頂きたいと思ってるの」
ミエ「ひゃっ……」
徹子「あらだって92歳まで現役でおやりになった杉村春子先生っていうお手本がいるんですもの、そこまではねえ」
ミエ「んまぁ……」


 まあこの会話自体笑えるんだが、私は聞いていて
「ああ、杉村春子といえば全芸能界がその名前を呼ぶときは『先生』とセットが必須だったなあ」
 ってなことを思い出したわけです。何も杉村さんから教わってなくても必ず「先生」。先(ま)ず生きていると書いて「先生」。どうでもいい。どうでもいいついでに記しちゃうが、この回でインプレッシブだったトークのひとつに

徹子「あなた、私のこと目の上のタンコブなんですって?」
ミエ「いつまでもお元気ですねえ」というものがあった。

 その後の徹子の「ンフフフフフフフ」という低い笑いが印象的であった。


 閑話休題
 まあ何がなんだかよくわからないけど、春子といえば先生なのだ。そういうコンセンサスが以前は芸能界に厳としてあったのだ。
 さて現在、これと同様の力関係を示すものには何があるだろうか、と考えると……。

森繁久彌先生」

山田五十鈴先生」
 この「おふたかた」が芸能界では「先生」の双璧じゃなかろうか。
 そこで最初の懸念に戻る!
 かたや森繁先生は、その至芸と言われた「語り」も「演技」も、現在において目にする機会はほぼ皆無。そのお姿を拝めるのは唯一「誰かの葬式」のみ、しかも完全車椅子で微動だになさらず、発表するコメントは文書のみ。口さがない一部からは「ホログラム」なのではないかという疑惑すら巻き起こっている始末。
 かたや「山田五十鈴先生」のほうはご病気思わしくなく、舞台復帰は絶望との噂……いまでは遊体離脱したソウルのみがかつての根城であった帝国ホテルを夜な夜なさまよい、それを聞きつけた東宝が「帝国ホテルの怪人」なる芝居を作成中との噂……いやぜんぶ嘘ですスイマセン。
 そんなこんなで、お二人とも「先生」と呼ばれる所以は
「まだ生きてるから」じゃないかと若い子には思われてしまいそうな寂しい状況だ。何でこんなこと長々書いてるんだ俺は。


 で、結局何を考察したいかというと
「今、芸能界で先生と呼ぶに値する人は誰か」ということなわけです。してどうする。
 この正当なラインでいくと筆頭は文化勲章も受章、年輪も屋久島杉並みの「森光子」が順当かと思うけど、生来の親しみやすさが邪魔するのか、そこらハタチぐらいのガキにまで「森ミッちゃん」呼ばわりされるキャラが定着してるのでちょい無理かなあ。ジャニーズの面々も「森さん森さん」だしねえ。「先生」……やっぱでんぐり返し教えるのだろうか。はい蛇足でした。
 うーん長生き系……歌舞伎系だといくらでもいるんでしょうが(やっぱその頂点は「中村又五郎先生」でしょう)芸能界の先生……やっぱ新劇のトップとか歌舞伎、新派などの「芸の継承物」関連の人じゃないと先生ってつきにくいのかな。今の俳優だったら……(ここから妄想)有馬稲子先生……おかしい。若尾文子先生……まだ若々しすぎるなあ。京マチ子先生……座りはいいんだけど、「先生」特有の傲慢な感じがたりない。小川真由美先生……先生というより教祖っぽい。岸恵子先生……ノンッ! 男ならどうだ。高倉健先生……不器用ですから。緒形、山崎、どれも違うなあ。
 だれかしっくり来る人いないもんですかね。うーんオチない、くっそう。まあ絶滅したってどーってことないんでしょうが、それってやっぱり日本芸能界の衰退ってことなんじゃなかろうか。「先生」の不在。これって、バビロンとしての芸能界が完全に終焉したってことじゃないかと私は思ってしまうのでありました。
 山田、森繁両氏のような人、もう出てこないでしょうからね。


○追記
 私としたことが。必ず「先生」という尊称がつくひとといえば、この人を忘れておりました。失敬失敬。

















淡谷のり子先生」

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