なぜか谷村新司について考えてしまった秋の夕暮れ

こんな画像しかなかった……

こんにちは、谷村新司の老けっぷりにメッポウ驚いている白央篤司です。
今日テレビに出てましたが……うっわぁ「アク」抜けちゃって、
まあビックラこいちまっただよオラ。なんていうか、「サラーッ」て感じ。
あの「ヌメーッ」とした感じが消滅。髪なんてもうオール白髪でねえ。
見てないと信じられないだろうが、「存在感薄い」「さわやか」「地味」という
ワードまで似合っちゃいそうなキャラになっていたのだ。
私はマジに一瞬「この素人誰?」と思ったほどだもの。
そんなの谷村新司であって谷村新司じゃないやい! って別にファンでもなんでもなかったんですが。


 かつて谷村新司といえば「わけのわからない淫靡さ」に満ち溢れ、
「生暖かい風」「湿地」「沼」などという言葉を連想させるような存在だった。(私だけかもしれないが)
かつて小川知子と発表したデュエット「忘れていいの」では、
歌いながら小川の胸に「手をそっと差し込む」という強烈なアクションで世の度肝を抜いたが、
当時小学生だった私はそれを見て真剣に「見ちゃいけないものを見てしまった」というインパクトに打ちのめされた。
「卑猥ーーーーーーッ!」と思ってしまった。ひょっとしたらアレが、セックスというものは
絵空事のキレイ事じゃあないんだな、という理解への第一歩だったかもしれないというほどに。(オーバーだな)
 忘れていいのどころではなく、31になった今でも忘れられようものがないほど衝撃的だった。
その衝撃は多分に、谷村のキャラクターによるところが大きかったのだと思う。
そう、あの人が持っていたものは「過剰ないやらしさ」なのだ。「スケベ」ギリギリの、「いやらしさ」ね。
それはきっと、ある一部の人にはたまらない感じの「セクシーさ」なんだろう。
趣味がいいとは到底いえないけど、人間の根源的なセクシャルな部分を刺激するような、
不思議な「フェロモン」をたたえていた人だったと思う。
しかしそんなセクシーを認めたくない、口には出したくないッ!ってな恥辱を感じさせるような、
アンビバレントな気持ちにさせる種類の「セクシーダンディ」だったと思う。
そんなこんなをひっくるめて、「イヤラシーッ!」って感じが濃厚な人だった。


 って何考察してんだか俺は……。前説のつもりだったのにィ。いいや突っ走ります。
まあねえ、本当にあの「イヤラシーッ」ってな感じが抜けちゃって。芸能界広しといえども
「アクの強さ」でいったら谷村新司にかなうものは「トチの実」ぐらいのものじゃないかってなぐらい
濃かったあの谷村が……ああ、やっぱり男ってもたないイキモノだなあ。
ポキッと折れるように老け込んじゃう一瞬があるんでしょうね。
ちょっと路線は違うが「石立鉄男」なんかもあるときからドッと老け込んだ。
うーん老け込まない男……誰かいるかなあ。
そう考えると最後の最後まで好色なまま逝かれた「胡桃沢耕史」センセイと「浪越徳治郎」センセイは
偉大だったなあと我ながら強引なところで今日はシメてみます。
枯れない男、その辺また今度考察してみましょう。


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