クリスティアン・ツィマーマン ピアノリサイタル

昔は結構な美少年でした

陶然とする、という経験を
テレビでさせてもらえるなんて滅多にないことだ。
我が家のオンボロ・テレビでこれだけ美しく聞こえるのだから、
ホールに実際行ったらどれだけ美的興奮に酔えたことだろう!
と、いきなり始めてしまいましたが、何を言ってるかというと
先日の日曜日、NHK教育「芸術劇場」で放送されたピアニストの演奏が
あんまりにも素晴らしかったから。その人の名は
クリスティアン・ツィマーマン、ポーランド人のピアニスト。
史上最年少であのショパン・コンクールに優勝し(当時18歳!)、
若い頃からカラヤンバーンスタインに認められ、華麗なキャリアを歩いてきたその人だ。


私はこの人の演奏がドーにもカタッ苦しくて嫌いだった。
考えすぎというか、ドラマティックな感情を意識的にコントロールして、
すべてを理性の元に突き進めていくような演奏に聞こえたから。
なんていうか……じっくりと曲全体の構築と構造をすべて熟知して計算したのち、
一部の隙もなく再構成していくかのような演奏のように、私には感じられたのだ。
それは堅牢で強固なヨーロッパの古城のようで、重厚で静謐な世界ではあるのだけれど、
自由さとかパッションあふれるスリリングな演奏、というものからは程遠い存在だったと思う。
理知的で、間違いなどありえない怜悧な演奏だが、(ただし、機械的というのとはまったく違う)
ややもすると面白みに欠ける演奏、というような印象だったのだ。
 とっころが。今回の一曲目、モーツァルトピアノソナタK.330の演奏たるやどうだろう!
音楽と楽しみ寄り添うような彼の姿勢、弾け出るモーツァルト特有の天国的な調べ、
古典派の範疇をわきまえながら繰り広げられるアッチェランドや
リタルダンドの生み出すうねり……音楽を奏でることの悦びが溢れ出るような素晴らしい演奏だった。
 とかくモーツァルトの音楽というのは、それ自体があまりに美しすぎて演奏者の手に負えないことが多いものだが、
この演奏は、完全にその世界を自分の手の内にいれつつも、モーツァルトという天才の音楽を
「すごいなあ、キレイだなあ、面白いなあ!」と感動しコーフンしてるのが素直に伝わってくる、
ヒジョーにバランスの良い仕上がりだったと思う。作品自体の良さを再現しつつ自分の世界を表現する、
というクラシック音楽の前提にして最高の課題を見事に成し得た名演だった。
 うわー何評論家気取ってんでしょうね私、アッハハハハすいません素人が。
いやーでもその次がベートーヴェンの『悲愴』、ラヴェルの『優雅で感傷的なワルツ』、
最後にガーシュウィンのプレリュードと続きますがどれも結構でございました。
随分とポピュラーな演目立てにしたもんだなあ、私何年前だったろうか、
この人のリサイタルに行ったらなんとあのジョン・ケージ作『4分33秒
(この時間内ピアニストは何もせずピアノの前に座っているだけ、というもの。現代音楽の有名曲?)を
アンコールで出してきて度肝を抜かれてしまったことがある。
よりによってこれをアンコールに……さぞかしクソ真面目でサービス精神のない
学術肌のピアニストなんだろうなあ、というイメージが私、凝り固まってました(笑)。
(ちなみに、そのときブーイングを行った人が一人いたのだが、あれもジョン・ケージ狙うところの
「偶然性の音楽」なのだなあ)いやしかしモーツァルトソナタ
そんな積年の思い(怨み?・笑)もスッカリ晴らしてくれました。
 ただでこんなもん聴けてハクオー幸せ。こういう番組に出会えたときだけ、
やっぱりNHKは公営放送であってほしいと思ってしまうなあ。はい、受信料キチンと払いましょう。


●追記
この人昔はゲルマン読みで「ツィメルマン」と表記されていたような気が……。
読み方統一ってなっかなか出来ないものですね。誰が主流を決めるんだろう。


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