訃報欄を見る、ということ ―多々良純さん・メリー・オアさん―

多々良純さん

ああ、なんてことだろう!!
確かに昨日更新したはずなのにぃッ!?
今日見てみたらないんですね、ちっともアップされてないだこれが
昨日書いた日記が……なんたることだ。ナンタルチア。古ッ!
操作間違ったんでしょうかね、こんなこと初めて……同じことを2度書くのもシャクだが、
ハイあきらめてもう一度。最近の私の口癖は「めんどうくさいと思った瞬間にやれば大体のことは終わる」これですね。
ポイントは「めんどうくさい」と心の中で言い切る前に動くこと。さー書くぞ。
でもなあ、下書き保存しときゃよかったなぁ……。


 昨日思ったのはこんなことだ。
私は新聞の社会面を開くと真っ先に「訃報欄」を見てしまう。結構そういう人多いようなんだけど、
これは一体いかなる類いの好奇心というか興味なんだろう……。名なり功なりを成した人の末路が知りたいのか。
有名人は「死」というものまである種のエンタテインメントにされてしまうのは事実だけれどなあ。
 私の存じ上げている方で紫綬褒章まで受章されたさる古典芸能の方がいる。
彼女も毎日訃報欄をチェックしていると仰っていたが、それは「関係のある方が亡くなったら、
御花やおくやみお送りしなきゃならないことがあるからね」という至極真っ当な理由によるものだった。
フーン……立場が違うと色々あるもんだなあ。モチロンわたしゃそんな立派な動機によるものじゃ
ないし……まあ乱暴に言えば一種の「野次馬根性」によるものなんでしょうね。
 さて、今週はふたつ興味深い訃報があった。多分一般的にはそれほど大きいニュースではないのかもしれないが、
ちょっと書きとめておきたい。
多々良純さん(俳優)
 失礼だがまだご存命だったとは……すっかり驚いてしまった。
晩年はあまり名前を聞かなくなったが、日本映画全盛時代からバイプレイヤーとして
独得の存在感を残された俳優さんだった。ちょっとニヒル(この言葉も結構な死語だ)だったり、
斜に構えていたり、影があったり……アクが強くてクセのある役を自分流に消化できる俳優さんだったと思う。
またその経歴も「クセ」のあるもので、帝国ホテルに勤めていたというのも驚くが、
のちに入った新築地劇団の同期が「千秋実殿山泰司」というのも……凄い。
3人並べてみるとなんと濃い顔ぶれであることか……うーん感動的ですらある。
どんな授業風景だったのか見てみたいなあ。享年89歳、お疲れ様でした。
●メリー・オアさん(作家)
アメリカの作家だがこちらもまだお元気だったとは……映画の古典的名作『イヴの総て』を書いたその人だ。
我が愛しのベティ・デイヴィス様主演、老醜が差し迫る大女優に近づいてその座を新進女優が狙う、というような筋。
ヒジョーに良くできた構成と展開で、原作の良さがうかがえるなあと思っていたが、まだお元気だったんですね。
映画のキャストなんてほっとんど鬼籍に入っているというのに……享年95歳。


 なんというか、訃報を知るということは「時代の区切り」を頭に刻み込んで生きたい、
という欲求の表れなのかもしれませんね。ひとつの時代の終焉を肌で感じて、それが逆説的にライブを知る、
現代を感じる、かんがみる手助けにしようという思いから訃報欄を見てるのかもしれないなあ。
などということを寝しなに考え、アップしたはずなのにィ……。はい、しつこいですね。失礼しました。
 今日は肌寒い東京、みなさま風邪などめされぬようご用心ください。


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