いじめ、そして自殺の連鎖に思った長文

浮きます浮きます

こんにちは、最初にフザけておきますが
今放映中の「HABA化粧品」の萬田久子さん……あれは「素敵」なのでしょうか。
私どーにも下にテロップで「仄暗い水の底から」ってつけたくてしょうがない。
はい、ドーでもいいですね。さて、今日は長くて重くて暗いというか
クッソ真面目というか、自分の考えをまとめたいがための文章です。
えらそうに、という人も多いでしょう、教育など興味ない方はどうぞスルーしてください。


●いじめ、そして自殺の連鎖に思う
 連日、自殺のニュースのばかりだ。
岐阜では14歳の少女が、長崎では15歳の少女が学校のトイレで首をつり、そして、今回の一連の自殺報道の先駆け的事件である福岡の少年は13歳で死んだ。そして昨日はなんと茨城県で、必修授業の履修をごまかしていた高校の校長が自殺した。58歳だという。少年少女と校長の自殺行為を同列には並べられないと思うけれど、やっぱり手軽に死を選んでいる印象は拭い去れない。まるでファミコンのリセットボタンを押すかのような自殺衝動。追い詰められた末に衝動的に……なのかもしれないが、「チャラにする」というような軽い表現が似合うかのように、バタバタと生を捨てる人々。


 先日テレビでとあるミュージシャンが「自殺して一番悲しむのは周囲です、だから絶対にしてはいけない」などと諭していたが……はぁー脱力もいいとこ、ふざけちゃいけない! バカもここまでくると絶望的で見識のなさにあきれてしまうね。自殺するような精神状態の子が、周囲を思いやるなんてできるわけないじゃないか。自分のことしか考えられなくなるぐらい徹底的に追い詰められているのだ。助けを求めることすらできないぐらい自尊心がズタズタになって、妄動的に首をつっちゃう人に理論なんてなーんの役にも立たない。その場でどんなケアをしたって役に立ちゃしないのだ。自殺しようとする子には何を言ってもダメ、一刻も早い精神的ケアと医療行為が必要なだけ。そんな彼らに的外れなメッセージを送る連日のマスコミの姿は、ちょっとトチ狂ってると思う。
 担任と校長へのバッシング的報道(確かに隠蔽体質の学校、責任逃れの態度は酷すぎるけれど)を見ていて思ったこを、今日は書いてみたい。まだ頭の中でぼんやりしているが、どれだけクリアにできるだろうか。


 詳述はしないが、私も結構ないじめを受けたほうだと思う。中学校のある時期なんて学校で先生以外と口を聞いた覚えなどほっとんどないものなあ。体育や技術の授業などで「誰かと組んでください」というのが本当に辛くて嫌でたまらなかった。修学旅行なんてよく耐えられたと思う。前の日なんて朝方まで本当にどこかに逃げ出そうと逡巡して一睡も出来なかったな。ああ、そんなこと思い出してきた腹が痛くなってきた(笑)。
 でもね、死のうとはまーーーーーったく思わなかった。
なぜなら、この先には絶対に面白いことがたくさんある、と信じていたから。それを味わわずに死ねるか、と思っていた。こらえていた。いじめられている、という状況を徹底的に無視しようとしていたんだと思う。
 私の場合は「映画」だった。小学校の高学年だったか、小津安二郎の映画をNHKで見てからトリコになったのかもしれないし、「世界名作劇場」で見た『陽のあたる場所』のエリザベス・テイラーの美しさにやられて以来かもしれない。中学生の頃は次の日が休みだと一日に3本ぐらいレンタルして映画を見ていた。それは学校生活のイヤーな部分からの逃避ももちろんあったと思うけど、純粋に映画の面白さにのめり込んでいたのだ。こんな面白いものが世の中にはたくさんあるのに、死んでなんかいられない、落ち込んでなんかいられない、というモチベーションで私はあの頃生きていたと思う。また勉強も嫌いじゃなかった。その部分を評価してくれる「塾」という場所も居心地が良かった。点数を取れば純粋に評価してくれ、認めてくれる場所がありがたかった。学校なぞは「成績だけじゃダメだぞ、みんなと仲良くしろよ」などとうるさいことを言われて嫌で嫌で。「バッカみたい。じゃあ先生よう、成績も悪くて人のことシカトするような奴をなんで叱らねえんだよ」といっつも心の中で先生に悪態ついてたものね、見下げてバカにしていた(笑)。そんな中学時代。


 あまりにも長いので、続きは次の日に。


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