ジョアン・ジルベルト日本公演(11月5日)

すごい。

 ジョアンの声を聴いていると私は、夏の海の上におっきな浮き輪を浮かべて、
それに乗ってゆーらゆらただ揺れているときのような、そんな気分になってくる。
 ジョアンの弾くギターを聴いていると私は、お日様をイッパイに浴びた布団の上で、
小さい頃に母親の隣で昼寝をしていたときのような、そんな気持ちがよみがえってくる。
母の手が僕の背中をゆっくりと、ポン、、、ポン、、、と叩いてくれていたときのような、
そんなホガラカーな気持ちに知らずなってしまうんだなあ。
 あまりにも広い東京国際フォーラム・ホールAが会場だったが、とってもインティメートで、
コージーな空間と時間を思いっきり堪能した。星と地上ぐらい離れてにいたはずなのに、
いつしかジョアンがすぐそばで歌ってくれていたような、そんなライブだった。


■興行主、さぞかしキモを冷やしただろうなあ
 「まだアーティストが到着しておりません。開演のメドがつき次第お知らせいたします……」
そんな素っ頓狂としかいいようのないアナウンスが流れたのは17時過ぎ、開演予定時刻だった。
一緒に訪れた長年来の友人・K子さんと共にギャハハハハと笑う。さっすがだねえボッサの巨人。
いやー「すわキャンセルかッ!?」と一瞬マジでうろたえましたが、焦っても仕方ないのでロビーで飲み食いしてりゃ
アッという間に17:50。さすがに「どうよ」ってな気分になって通りかかるスタッフに問い合わせると
「先ほどホテルを出たという連絡が入ったので、まもなく開演の可能性がありますね」という
冷静なんだかヤケッパチなんだか分からないコメントが。なーんだそりゃと苦笑してれば
ブザーが鳴り響き開演のお知らせ。そう、ここは東京ではないのでしょうね、サンパウロのごとく
ゆったりと時間が流れていると思えばいいのだ。ホントか。まぁブラジル人がそんな人種かどうか知らないのだけれど。
そんな鷹揚な開幕前もジョアンらしい素敵なアペリティフ、テンションも上がってきました。
 着席して暗くなる場内。一瞬にして広がる静寂。


■昂揚するこころ
 18:00ちょっと過ぎ、ジョアン満を持しての登場。うーん歩き方・姿勢、
やっぱりねえ……おじいちゃんだなあ……大丈夫かなあ、持つかなあ、歌えるのかなあ……はい、すべては杞憂でした。
なんて若々しいソウルをいまだに持ってる人なんだろう。そして燃えてるミュージックを心に持ってる人なんだろう。
 そりゃ声の伸びとか音程、安定感なんかは歳を感じさせる箇所も多々あった。でもね、そんなの問題じゃないですね、
この人はあきらめていない。この人はまだまだ音楽に対する挑戦、というものをずーーーーーーーっとし続けている
人なんだ。エネルギッシュなパワーというかエナジーというか、「物を創る人」独得の好奇心とか
創作意欲がちっとも枯渇してないんだなあ! そんなことが一曲一曲の演奏が終わるたび、そしてまた次の曲を
奏でるたびにジワジワと感じられてくる。そしてそのたびに気持ちが高まってくる。
単純な言葉だけど、感動的としかいいようがない。
 「自分の軌跡をなぞる」という作業になってないんですねちっとも。
よく往年のミュージシャンがやりがちなことなんだけど。メロディ、リズム、テンポ……いろんな音楽的要素が
無限に結びつきあって紡ぎだされる「音楽」というものを、一番素敵な形で「今」、どうやったら再表現できるか、
どうしたらもっとよくなるか、というライブパフォーマーとしての最大の命題にガンガンぶつかっていってる。
そこに私は感動しちゃったんだと思う。既存の曲において、自分の過去をなぞることなく、即興的に
今の最高を求めてリクリエイトし、よりよいパフォーマンスにする。ジャズやクラシックの巨人達が
常に挑み続ける最高峰のテーマだ。自分の年齢的なハンデなんてメじゃないんですね。
今までにゲットしてきた様々なスキルと経験で、どーしたら今日のこの瞬間のテンションと状態でもって
素敵な一曲として再現できるか、そして「自分が歌いたい世界」をパフォームできるか、
そのことに首ったけになってるんだなあ、自分の音楽世界に埋没してるんだなあ、
ということがよーーーーーーーっく分かった。そしてグイグイーーーーーっと引き込まれた。
 なんかねえ……演奏している彼を見ていると私は「はた織り職人」を見ているような気がして仕方なかった。
ギターというツールをさばきながら、無という空間から美しく、楽しく、綺麗で、繊細で、物悲しくもあり
無常的でもあるような様々な「音楽」という名の織物を、ひたすらに紡ぎ続ける挑戦者のように彼が見えましたね。
うーん抽象的だなあ(笑)。見えざる美しい織物が次々と模様やパターン、色合いを変えてホールの空に広がってゆく。
そしてジョアンが最後の和音を弾き終えたのち、かげろうのようにフッと消える……そんな美的体験を
昨夜私は何回味わっただろう。ああ、贅沢だ……一万円は安い。


■観客と表現者の幸せなマリアージュ
 そんな彼の孤高的ともいえる世界に身を委ねるていると自然、冒頭に書いたような心地になれちゃうんだなあ。
これってねえ……たまらない愉悦ですよ。ひとりのアーティストの世界に心底シンクロして浮遊できる幸せ。
それはまるで、どこかの美術館で決定的に好きな絵にめぐり合ってしまい、
ひとり忘我の境地で佇んでいるときのような。それはまるで、ページをめくる手が止まらないほど
好きな小説に出会えたときのような……そんな気持ちにも似た天国的な気分を、
私は彼の演奏を聞きながら折々感じていた。
 蛇足だけれども、彼のパフォーマンスは私に六世中村歌右衛門の芝居を思い出させた。
私は彼のライブは見ていないのだけれど、その晩年のビデオを見るにつけ思うのが、
彼の演技とオーディエンスの幸福な一体感だ。よく通るが小さな声、
老齢ゆえのままならない動き……しかしその一挙手一投足に心をこめて役の本質をこめようとする歌右衛門と、
それを一瞬たりとも見逃さんとする観客達の熱い目線……若い頃よりも肉体や運動能力は衰えていても
そのソウルはより高く飛翔する……演劇、音楽の差異はあれど、そんな奇跡的な一瞬がそこにはあった。
そのシチュエーションがとてもよくジョアンと昨日のオーディエンスとの雰囲気に似ていたのだ。
 なーーーーーんちゃって芸術論ぶって嫌ですねえチンピラライターが。
分をわきまえて「超おもしろかったー」とか書いてればいいものを長々と。まあとにかく良かったっす。
 ジョアン、まだまだ長生きしてね、来年も来て下さい、お願いします。


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