「仏像 一木にこめられた祈り」鑑賞記その2

ほーしーいー!

 こんにちは、ルイ・ヴィトンのタンタンシリーズが
狂おしいほどに欲しくて仕方のない白央篤司です。
うぉおおおお欲しいーーーーーーッ!
ひっさびさに物欲に火がついてしまいましたね、もう可愛いったらありゃしない。
すごいなーやるなーこのコラボ、ああどうしよう頭から離れなくて困ってます。
もうねー8万ぐらいすんの。あっははははは無理だよ貧乏ライターにゃ。
でもこれ逃したら手に入らないかなあ……どうしようかなあ……。
 まあそんなことはともかく、昨日から長々やってる仏像展についての第2弾。


●「あの世」を体現する木造仏
 唸った。
ボケーっとしちゃった。しばしウロウロしてじっくりとその肩の線、腰のライン、ゆれる被布の波型の細工、
頭部に並ぶ様々な表情と全体から醸し出される雰囲気と圧倒的な「この世から隔絶した浮遊感」というものに私は酔い、
恍惚とし、溜息をついて、唸った。そう、唸ったとしかいいようがない。
 「だから何言ってんだよお前は」とお思いでしょうが、今回の目玉展示物、国宝・十一面観音菩薩立像を見たときの
私の率直な感想だ。
 いやねえもう気取りなしでいくけどキレーなんだわ本当に。さっきのレトリック尽くしたような感想を
より率直に言うと「ウツクシーっ! キレイーッ! ビューティホーっ!」ってな感じなんだよねいや本当に。
その彫刻としての美的曲線は流麗でなまめかしいことこの上なく、人間の様々な表情をのぞかせる
十一面の姿も奇異という印象をまったく与えることなく超常の美をたたえ、見事という他ない。
そんなありきたりの賛辞は今までにくさるほど浴びてきた国宝だ。あえてこれ以上語ることもないだろう。
私が驚嘆した事実はひとつ!


 なんといっても「涅槃」が見えたのが、凄い。
この観音像は今この2006年、東京は上野の近代的な博物館に展示されながらも、私には雲の合間から蓮が咲き、
鳳凰が飛び天女が舞い、あかねさす日の光に包まれた浄土の彼方にたゆたう極楽境地に
浮遊しているように見えて仕方なかった。それはまるで、この観音像の特徴である長い長い手
(一人でも多くの民衆救済のために手を差し伸べるがため、そのような形になったのだという)で、
ふわりと十万億土へ連れて行かれたような気持ちというか……。それはとても快楽的なトリップで、
そう、簡単にいうなら夢見心地とでもいうのだろうか生きながらにして「涅槃」というのは
こういう世界をさすのだろうかというインスピレーションを私にこの観音像は与えてくれたのだ。
あ、沖雅也はちょっと見当たらなかったが。はい、余計な蛇足ですねすいません。
 こういった直感によって、いにしえの人々は宗教的感動として仏門に帰依したり
(多分今でもそういう人は多いのかもしれないが)したのだろうなあ。なんというか……今回の発見は、
仏教・宗教美術というのはなんら普通の芸術と変わりないことであるな、ということだ。
人間の生み出すひとつの究極的美形というのは、それすなわち「神」という領域にかかるものであり、
ショパンの音楽も曼荼羅たりえる世界であり、佐伯佑三の傑作も愛染明王のような迫力をたたえているものなんだよな。
 断っておくが私は仏教徒でもないしこの文章は仏教啓蒙を目的としているものでもなんでもない。
ただ、宗教美術の傑作は意図的に僧侶寺院によって政治的に利用されてきたから胡散臭さが漂う面もあるけど、
(さっき言ったような傑作の魅力を宗教上の法力と勘違いさせるような)
美の究極というものは「神仏」という世界にどこかしらリンクするのだな、というのが私の今回の発見だった。
そうだよね、「神の領域」に達している芸術をたくさん今まで観てきたのにね、
昨日書いたように宗教美術ってのは啓蒙とまったく別のところによりどころがあるんだよね。
こんなこと今頃気づくなんて遅すぎるなあ……ああ、バカライターめ!


●シルエットの魅力
 そしてもうひとつだけ。ハッとされられたのが仏像の「影」の素晴らしさだ。展示物の多くは
後ろに斜めにかけた布をバックスクリーンのようにしてそのシルエットを楽しめるようにして
あったのだけれど……それはそれは美しく、きらきらしく、荘厳でときに仏像以上に奥ゆかしく
こちらの口を自然つぐませるような、ポケーっとさせるような圧倒的なものだった。
なんていうか……「ご来迎」ってものを見るような……「ご来光」を拝むような……影を見ているのに
光を見ているような、とっても不可思議で威厳あるシルエットに引き付けられて仕方なかった。
 なんていうかなあ……よく物語とか漫画で登場人物の夢の中に神仏(ルビ・かみほとけ)が出てきて
ご神託を授けたりするシチュエーションがあるでしょう、あんな感じなんだよね。
(多くは山岸凉子の作品世界に見受けられる)
うつつ心に垣間見た心に残る大いなるイメージというか……毘沙門天やら四天王の影は静止しているのに
動的で荒々しく、観音や仏像半跏図の影は山のごとく立派で揺るぎなく永遠で……。
シャドウの生み出すニュアンスにさえ圧倒されてしまった展覧会だった。
 でもねえ、なんでしょうかねえこのいい作品をみるたびに「ありがたいなあ……いやーありがたい」と思ってしまう
変な気持ちは。私は無宗教でなーんにも信教を持たない人間なんですけどね。
考えうるとすれば「仏像にこめられた祈り」という同展示会のサブキャッチのごとく、
仏師・仏工たちの一途な敬虔なるメンタリティにシンクロしてしまったのだとしか思えない。
それは……ちょっと仏教観に引きずり込まれちゃうような危険さを漂わせつつ、
人が持ちうる最大限の「美しい心」にふれた清々しさを感じさせるような、
相反するふたつの感慨を私に味わせた経験だった。うーん長い! しかもあんまりまとまってない!
あっはははすいませんね結局まとめになってませんが、かなりの見ごたえある展覧会には間違いない。
12月3日まで、どうぞ興味のある方は見逃さないで。

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