いよいよ明日公開『犬神家の一族』

もいっかいリメイクしたら笑う

 うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん……まだ迷っている…………。ウーンウーン…………一週間ぐらいお通じがなくて悩んでいる娘さんのようないななきを31歳のオッサンである私がなぜ発しているかというと、すべては『犬神家の一族』のことだ。そう、以前にもこのブログで書いた名匠・市川崑監督1975年の大傑作にして、おんとし91歳で今年リメイクのメガホンを取った、あの話題作のことである。
 いやーとうとう観てきちゃいましたよ。(先輩映画ライターのYさんありがとうございました)しかし! 私がこの映画の感想をいくら個人的ブログとはいえ書く資格があるのだろうか……え? なんでそこで悩むかって? だってねえ、私この映画が好きで好きで仕方ないんですわ。絶対冷静に見られてないと思う。基本的に「なんであんな傑作を今更リメイク……」「超えられるわけない」「やめて」という批判的な気持ち半分、そして「もう市川崑様が撮ってくださるならなんでもいいっす」というハレルヤ気分半分というないまぜな気持ちだ。ちょっとあまりに自分の意見は主観的に過ぎるかな、これから公開作に厳しいこというのもなあ、と腰が引けてる感じだ。
 まあでも思ったこと、感じ入ったことを私なりに(ここ大事ね)冷静になったつもりで書いてみよう。というわけで今日は逃げのオープニングから。


●思いっきりネタバレです、話を知らない人は読まないでください
●そして本作を楽しみにしてる人、まっさらな気持ちでリメイクを観たい人は絶対に読まないで。

 さあ、今日はいつにもまして好き勝手書かせていただきます。題して「私見犬神家の一族2006解剖エッセイ」レッツラGO!(死語)


 もはや『犬神家の一族』は歌舞伎であり、オペラになったなあというのが、観終わってからの究極的な感想だ。前作が決定版、いや新作のほうが……などという議論は不要になった。これはマスターピースとしていろんな世界で繰り返し演じられるべき作品に昇華したと思う。ほとんど変えてないという台本をつかったことで、その質の高さが証明されたのだ。あの本ならキャストが変わろうとある程度のクオリティが保証されるのだと思う。歌舞伎でも見たいし、文楽でもいいんじゃないか。全部中世に書き換えてシェークスピア・カンパニーがやっても素敵そう。それだけの内容と戯曲が完成されている芝居なんだなあ、ということを再認識させてくれたリメイクだった。はい、ちょっとだけ真面目に。


■冒頭から涙
 いやあの……歳とって涙腺が弱くなってるのもあるんですが、あの美しきテーマ音楽が流れて、なおかつ一部ファンの間では「市川フォント」と呼ばれる太い明朝体タイポグラフィってんですかね、キャストの名前の独得の配置が「ドーン!」とスクリーンに現れた瞬間からもうジーンとしてしまって……。ああ完成したんだなあ、またこれが見れるなんて嬉しいなあ、という感激モードにいきなり突入。ファンはここでグッとテンション上がること間違いなしです。


■そして最初の引っかかり
 いまでもこんな町並み残ってんのか! と驚いてしまいました。75年版に映されてるのとほとんど変わらないような景色が広がります。これまた感激、よくぞこの2006年にこんな情景が残っているなあ、もしくは再現としてもすごいなあ、と感心していると、その情緒をいきなりぶち壊すデストロイヤーが登場します。「あたしそこの女中よ」今ではテレビで放送できない言葉をサラッと口にするのは、前回坂口良子が演じた旅館の下働きを演じる「深田恭子」その人。自分が泊まる旅館の場所をたずねた金田一に、笑顔も美しくフカキョンが答えるのですが、なんと眉が現代そのまま、ディートリッヒのような美しい細眉です。しかも私の目の錯覚でなければ髪にはうっすら茶髪の残りが……。
 この映画は昭和22年を舞台としており、ましてや長野県の田舎という設定のはず。まず間違ってもこんな娘さんはいないでしょうし、いたら村八分決定の不良娘です。多分有楽町の日劇ダンシングチームだってこんな綺麗に整えた眉の女は少なかったに違いない! ホントか。
 いやー小うるさいようですが結構こういうのって「なんじゃそりゃ」って見るテンポつまづくものですよ、「神は細部に宿る」って本当だと思う。最後まで見てもこの方が今回の一番のミスキャストであった。前作では陰惨で重々しい田舎の旧家の匂いがたちこめる本編内において、唯一の息抜きどころ、観客が瞬間ホッとできるようなチェンジ・オブ・ペースの存在だった坂口の良さを改めて認識。田舎娘が村にポッと現れた闖入者に興味津々、根掘り葉掘り聞いてしまうというシチュエーションが、見事に導入部において事件と金田一自身のイントロダクションとなるシーンを説明臭くさせない一助になっていたのだなあ、と台本の良さをも再認識する。


冨司純子
 長女・松子を演じる音羽屋の大女将。ひとことで言って手堅い演技で、貫禄も充分、演技も適切だったと思うが、やはり旧家の長女、という点では前作の高峰三枝子には敵わなかった。「人を人とも思わない」「驕慢」「常に上から」「旧家の誇り」「お嬢さん育ち」「箸より重いものは……」みたいなニュアンスがこの人だとドーにも乏しかった……緋牡丹お竜だもんねえ。高峰三枝子は実際に戦前の日本における富裕階級(『細雪』の女たちみたいな世界)のご出身、というのがやっぱり強い。それだけは望んでも得られない「人間の持つ空気」というところなんだろう。それを彼女にのぞむのは酷というものだ。そしてこの方、こういう歌舞伎系芝居の主役としては顔が小さすぎるのも損だ。


松坂慶子
 うまいなあ……こんなにうまくなってしまっていいのだろうか。「スター女優」「主演者」という人がこんなに技巧的にうまくなってしまうとこれから困るぞ。そんな懸念を持たせるぐらい、求められていることを充分にこなし、かつ出過ぎない見事な演技だった。ちょっと笑えるぐらいオーバーにやる、ということはなっかなか女優さんできないんですね。よく「10やって2引く」なんていうが、その「2引く」というのは客観性のことだ。女優さんはオーバーにというと「10やるところを12やっちゃう」という結果になりがちだ。(それが高峰秀子が嫌悪するところの「熱演」なのだけれど)そこの客観性をよーく理解してる女優なんだなあ、ということがよーく分かった。彼女でこれから新派芝居なども観てみたい。

萬田久子
 どーでもいいんですがいつの間に「萬田」なんて変換しにくい名前に……昔は表記「万田」だったのに。まあいいや。私的ミスキャスト第2位はこの方。なんちゅうか……綺麗すぎるんですねマジで。立ち姿、風情どれをとっても新橋とか銀座の女であり、山家育ちの因循な女には見えない。そして唯一の見せ場である子供を失って狂乱するシーンも「はっちゃけ」が足りなすぎた。冨司と松坂との差はやはり演技力というよりも、テレビスケールの演技だったということだと思う。この方のテンション、テレビだったらちょうどよかったのかもしれないね。そういう意味で十朱幸代ラインの女優だ。


尾上菊之助
 まずどーでもいいことから。ねえ若音羽、あなたドーラン濃すぎませんかッ!? それがわたしは気になって気になって……妙齢の女優陣よりときたま「素肌感」がなくって驚いたのなんのって……。そのせいか時折「ピーター」に見えてしまったのは私だけでしょうか。はい私だけです。そして青沼静馬も二役で演じてますが、この「スケキヨマスク」も久しぶりに見ましたねえ。「マスク・オブ・ゾロ」「13日の金曜日」と並んで世界3大マスクに数えられるスケキヨマスク、今回気がつきましたがなんかこれ……ひばりちゃんの愛息「加藤和也」さんにたまーに見える瞬間が……。はい冗談ですよ、あの方本気で怒りそうでちょっと怖い(笑)。


参考写真:


■そのほか
 松島菜々子が思いのほか好演、素直にお嬢さんを演じていて見事でした。なんていうか……市川監督、この役には「せいたかのっぽ」(死語)が合うと確信してるんでしょうかね。前回危ない婆さんをやらせたら日本一の「原泉」がやっていた老婆をスッピンで三条美紀が演じている。まだまだお元気、女優根性を感じれて嬉しかった。三谷幸喜はミスキャスト、この人は表に出るといつもその表情に「役者やれて嬉しいなー」というワックワク感が滲み出てしまっていただけない。常連陣はさすがにツボを押さえていて言うことなし。


■総括
 うーん……私は見終わって思ったことは、今回と前回で打ち出そうとするメインテーマを市川崑は意図的に変えたんじゃなかろうか、ということだ。
 前作の凄さは、高峰三枝子という主演者の持つオーラに物語が引きずられていくところにあったと思う。高峰がおのずと表現してしまう「旧家の御寮さん」的雰囲気、その気位と「家」にかける執念・妄執というところに話のメインテーマはあったと思うが、それは今回望むべくもないと、老獪な市川監督は分かってたんじゃなかろうか。ゆえに、「スケキヨ×松子」という関係図に対し、「冨司×菊之助」という実際の親子関係を投影させることで「我が子可愛さ」のドラマに重心をスライドさせようとしたんじゃなかろうか。事実、手と手を取り合って互いの不幸を嘆きあう親子図は、前作に比べて情の濃いものとなって「お涙頂戴」感は増していたもの。まあさすがに長谷川伸作品のようなクサさが出ちゃって「犬神」にそぐわしいものとは言えなかったけれども。
まあ私の深読みでしょうが、まだまだ市川演出は枯れてないなあ、すごいなあとビンビン感じさせる箇所が随所にあり、もうこうなったら過去の横溝×市川作品全部リメイクしていただきたい! まだまだ死なないでね市川監督、好き勝手なこと言わせて頂きましたが、なんたってファンですもの、すべては愛。心からの「ブラボー!」をお送りします。
ラストは前作とまーーったく違いますよ。それは市川監督からファンへのちょっとしたプレゼント、カーテンコールのようなシーンだ。私はここで不覚にも泣いてしまった。ひょっとしたらあれは金田一から私たちへのさよなら? 違うよね、市川監督。


<付記>
 と、いうのを私は試写をみた11月6日に書いていたのだ! そう、公開前日のブログに発表するつもりで今日までとっておいたのだけれど……ギャーーーーーーーーーーーーーーー!  なんと今日発売の週刊新潮で映画評論家の北川れい子さんが「この映画は歌舞伎」と書いてるじゃないか!! うっひゃあまああら……まあ同意見の人ぐらいそりゃいるでしょうが、けーーーーーーーーっしてパクってませんよ私……(涙)。まあ私のもの好きで読んでくれてる方は、決して剽窃などする物書きじゃないと信じてくれると思いますが、一応念のため。書き直すのもバカバカしいのでまんまアップしちゃいます。
明日公開、どうぞお楽しみに!


●追記
読者の方からメールを頂いたんですが、それがあんまりにもおかしいのでご紹介。
「この犬神のテーマって、ヘンリー・マンシーニの『シャレード』に似てませんか?」というもの。あっははサイコー! うーんソックリ!! なんで今まで気づかなかったんだろう。気になる方、何かで検索してみて、すっごく似てます。


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