踊るアホウに見るアホウ ―DJ OZMA騒動―

踊るアホウに見るアホウ

●今日すっごい長いです。その上クドクド説教臭いのかも。携帯の人は気をつけてね。


 私の大好きなホームページに「魅惑のモナムール」というサイトがある。ここではいつも独自の視点で芸能界のユニークな出来事やキャラクターを料理しては、とっても面白く、そして素敵にふざけて紹介してくれる。こんなにも更新が待ち遠しいサイトもそうそうない。(彼らが一番取り上げている芸能人が「弘田三枝子」というところからもそのセンスの一端はうかがえるのではないだろうか) 先日このサイトで今回の紅白歌合戦における、くだんのDJ OZMAの裸ダンスについての見解が載せられていたのだが……うーん素晴らしい! 私は思わず「なるほどねえ」と膝を叩いてしまった。ホントには叩いてないけど。
 彼らは川中美幸が初トリを勤め上げたのち泣いてしまったことに対して、「今でもトリをつとめたぐらいで泣いてしまうものなのか」と疑問を呈した後、「演歌系の世界ではいまだにとっても紅白を大切なものと捉えているのだなあ」と考え、さらには「DJ OZMAの件を怒って電話までしちゃうような人々も、(トリをつとめて泣いてしまう演歌歌手たちと)同じようなメンタリティなのだろう」と続ける。そういった「彼ら」からしたら、「NHKのやることには間違いない」と信じていたであろうし、それなのにあんなパフォーマンスがあって「本気で仰天してしま」ったのだろう、と考え、さらには「そういったある意味ピュアな人々を揶揄することはできない」けれど「肌襦袢なんてまだ判りやすいだけ『まし』ではないか?」と続ける。そのあとのモナムールの明察は実に爽快なので、ちょっと長いが引用したい。
「テレビにはもっと巧妙な、例えば、『エロカッコイイ』なんていうマヤカシの言葉で下品な性を売り物にしてる輩とか、そういう連中が大勢いて、そっちのほうがよほど姑息で根が深い」というシメになる。
 うーん言いえて妙。ごもっとも!
 こっからは私の考えだ。モナムールサイドは別に倖田來未自身のことを攻撃してるわけではないんだと思う。彼女自身の売り出し方を決めて、このコンセプトで女の子を売り出そう、と狙う人々の品性を指摘しているに過ぎないのだ。
 倖田來未という人は「とりあえず芸能界で歌っていくためには、まず注目を集めるためには、どんなことだろうと事務所の意向に従う」という意志で動いているんじゃないか、と私は勝手に思っている。しかし周囲は「倖田來未」という「人」ではなく「流行」を造り出そうとしているんじゃないか、とこれまた私は勝手に思っているのだ。そしてその「倖田コンセプト」には分かりやすく「エロ」を過剰に入れて目立つようにして、なおかつ「下品でいやらしい!」と言われないように「かっこいい」という自画自賛の言葉をつけて、まず売り出す。そして「エロかっこいい」という言葉を「大衆」が言いやすいように「流行」に乗せるべく、お金をたっぷり使って文字媒体とテレビ媒体に大量露出させ、人々の言語感覚を麻痺させた……そういったやり方を彼らは「姑息で根深い」と表現しているんだと思うんだよね。


 はっきり言わせてもらうが、ある程度の慎(つつし)みがあれば、こんな言葉を大人が口に出すのは恥ずかしいはずだ。その昔「ゲロゲロ」という言葉が流行ったときも同様のことを感じたが、人々はその語感、もっと突っ込んでいうなら言霊(ことだま)をひとたび「流行り」というものに乗せられてしまうと忘れてしまう。ゲロ(嘔吐物)ということではなく、ゲロゲロというワンフレーズ、それも流行のフレーズを使ってるという簡単な快感で、本来持ってしかるべき感覚をスルーしてしまうのだ。繰り返しいうが、いい大人が。(「えーなんでーいいじゃーん」という感覚も、分かる。しかし、「こーいうのにはノレん!」という線引きをキチンと持ってる感覚こそが大人のそれだと、私は思う)
 今の「エロかっこいい」というファッションや踊りも、「ゲロゲロ」もそうだがあーいうものにノッていいのは子供だけ。そう、若い子にだけ許される特権なのだ。「わーテレビでこんなことやってて面白そう」と軽薄にノセられる楽しみ、ってのは子供にだけ許されるものだもの。私だって好きな有名人の真似っこするの楽しかったからなあ、大好きだったもん雑誌とかみてオシャレなモデルや有名人の真似すんの。お気に入りショップ特集とかみては通ったりして。それで大人になってからその頃の写真を見て「うわーノセられてんなー俺、恥ずかしー!」とか思ったりね。それってフツーのことでしょう。それがおかしいとはいわない。大人も一緒になって「エロかっこいい」なんていってる現在が(正しくないとは言わない)ひたすらにかっこ悪いだけなのだ。断言するがあと何年かしたら倖田來未自身はあんな格好やダンスなど断じてしていないと思う。


 「紅白であういうことをやったかが問題であって、芸能一般論を話し合ってるわけじゃない、論旨をすり替えるな!」というご指摘もあるでしょうけれど、DJ OZMAサイドを単純に「紅白の席であんなことして」と責める世論というのはあまりにも低レベルで、目の前のことばかり叱るダメ親のような気が私はしてならないのだ。そこらじゅうに下品なこと溢れてるじゃあないか。NHKだからダメ、紅白の品位を落とすなってのもねえ……説得力ないなあ。ここ一番のときだけそんな声高に文句つけたって、子供は信用しないと思うけどなあ。セックスを露骨に連想させるような振り付けが平日8時台に氾濫してるんだもの、それに対してなんか今まで反論・反対めいた声ってあがっていただろうか。なんでOZMAはダメでエロかっこいいはいいの? なんだか「一貫性のない良識ある人々」って感じでリアリティないんだよね、この「抗議750件」って現象。はい、口が過ぎますね。すっごく義憤的な気持ちからこの問題を許せなかった人も多いんだろう。でもねえ……。
 DJ OZMAがしたかったことっていうのは「エロ」とか「スケベ」とかそーいう類いのことじゃなくて、「僕達大晦日らしく大馬鹿やっちゃいま〜す!」ってなレベルの大騒ぎなんだと思う。そう、乱痴気騒ぎをしたかったんだよね、彼らは。子供が「うんこうんこ〜」とか言ってるのと同じこと。だけどそれを大人がやるのって結構なパワーだよ。私はあのショーに対して「本当に心の底からくっだらないなぁ!」と思い大爆笑した。そして同時に「このシャレわかんない人はものすごくいるだろうなあ」とちょっと怖くも思った。それは彼ら側からしたら大成功なんだと思う。してやったり! ってなもんでしょうね、二度とNHKに呼ばれないだろうという覚悟も当初からあったんじゃないだろうか。それはそれで、(彼らが芸能活動として何をしていきたいのかまったく知らないけれど)立派だと思う。バカなこと、と理解して誰になんと言われようとバカに徹した。立派なことじゃあないか。少なくとも「リハーサルではしてなかった」「うちの責任じゃない」とかいう大人より絶対立派だ。そう、絶対何かしでかすと思って白組にいれたくせに腹もくくれない放送局よりは、数段立派。なんども例えに出しちゃうけど、軽犯罪者を「メンバー」としか呼称できないようなマスコミに、体張ってる芸人叩く資格なんかないもんね。
 なぜだか分からないけど、「踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らにゃソンソン!」そんな日本古来のフザけたフレーズを私は彼らの「♪ナーナナナナ ナナナ」という大変アホらしいフレーズから思い出してしまった。


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