『愛の流刑地』その1

豪華なキャスト陣

 さて……昨日書くとかいってましたが『愛の流刑地』です。このブログって、何のキーワード検索で飛んできたか分かる機能がついてるんですが、昨日一言『愛の流刑地』って書いただけでも12件もの検索があってビックリ……そんな注目作なんでしょうか!? うーん間違いなくテレビでやるんだろうなあ。誰がこのカップルやるんでしょう。まさかまた川島なお美じゃ……とすると相手は古谷一行……んなわけないか。はいでは、本題!


■■ 愛の流刑地 ■■

 たとえば、こうだ。友人が電話をかけてきて、最近できたらしい恋人の話、それも自慢から不満、ひいては閨(ねや)の話に至るまでを延々と話し始めたとしましょう。「そこまで言う!」「そこまで語る!」相手のテンションはどうしたのでしょう、もうのっけからクライマックスのハイテンションです。聞き手であるこちらの気持ちや状態、明日早いのかどうかなどといった気遣いは一切なく、一方的にまくしたてられ、ときに熱情的に、ときに悲観的に、ときに恍惚としながら恋愛のすべてを語り尽くされている……2時間近くも。そんな気分を、私はこの映画を見ていて味わっていたんだなあ。


 最初に根本的な疑問を書いちゃうけど、この映画に「ウットリ」とノレる人ってのが世間では本当にいるもんなんだろうか(いるんだよなあ)。
 これこそが愛、これこそが大人の世界なんて思う人が(多分いっぱい)いるんだなあ……ということ、その事実に私はただ呆然としてしまう。私はこの映画、その大半を「ギャグ」としか思えなかった。ある瞬間から「ダメだ、もうこれはコメディとして楽しもう!」と決意しちゃったもの。
 ではまさにそう決意した瞬間、豊川悦司寺島しのぶが最初の出会うシーンのセリフをお聞きください。京都のとある喫茶店、夕暮れ時のこと、その会話はなされます。
 西日が眩しい……と手をかざす寺島の姿を見て思わず豊川演じる作家は……
「もしやあなたは富山のご出身じゃないですか」
「ええ……どうしてそんなことまでお分かりに?」
「手をかざすあなたの仕草が……まるで富山の『おわら節』の踊りのように綺麗だった……だから……」
 とかなんとか言っちゃうんだなこれが!
 そのあと確か「さすが先生ね……当たりです」みたいなことまで言ってたような。試写会でこのシーンのとき「ブフッ!」と鼻鳴らして笑っちゃいましたよ本当に。だってギャグでしょう完全に。なんでみんな笑わないのか私には不思議で仕方なかった(そして蛇足だが、やけにこの映画「……」というタメの多いセリフ回しのが多いのもうっとおしい)。
 その後も「雨に濡れながら舞い散る桜が綺麗で嬉しくなっちゃったのか、道端でひとり跳ね回りだす寺島しのぶとか「森の中で寺島しのぶを待つあまり気分がハイになっちゃったのか、方丈記のイントロを雨に打たれながらずっと語り続ける豊川悦司とか素晴らしいシーンの連続……もう助けて。しのぶ&えつしで「M1グランプリ」取れんじゃねえのってぐらいの素晴らしいネタの宝庫……ああ……同じ感性の人と観にいきたかった……さぞかしその後の飲みは盛り上がったに違いない。
 

 渡辺淳一的世界と言い切ってしまうのは危険だけど、この映画には55歳以上の人が好きそうなテーマ、小物がうまく散りばめられていることは確か。
 一目惚れに近い出逢い(出会いじゃなく出逢い。ここ重要)、相手が住むのは京都。その人は普段は貞淑(これも死語だ)な人妻、ベッドに入れば娼婦のごとく燃え上がる……。
(何しろ寺島しのぶ演じる人妻はカーテンを閉め切っていざことに及ぼうとすると「浴衣貸していただけます……?」と言って着替え始めるのだ。なんちゅうカマトト! そしてかえってふしだら! こんな女性を世の中のオッサンは「ハレルヤ!」と思ってしまうのだろうか?)
 さらには作家が逢瀬(これも死語)を重ねるホテルはグランヴィア京都のスイート、しかも2時間しか使用しない贅沢さ。東京のマンションは花火が至近距離で見え、わざわざ部屋の中で浴衣に着替え鑑賞する……もちろん一泊旅行は箱根。銀座かどこか知らないけどバーでは出版社の重役が接待してくれて「永井荷風は……」とかいうベタな話をしつつ、実の娘はパパが別居しようが犯罪者となろうが「お父さんを信じてる!」と叫んでくれる孝行者。
 あはははは。わたしゃ見ながら「♪あんなこといいな、でっきたらいいな〜♪」ドラえもんのテーマが聞こえてきたぐらいですよ。世の中のオッサンが「こんなことしてみたいなあ」とヨダレたらしそうなファンタジーがこれでもか、と詰まった映画、それが『愛の流刑地』。


 私がこの作品を見て「退屈!」と思ってしまった最大の理由は「知らなかった世界」を見せてくれなかったからだ。
 愛、という人間の持つ感情の知られざる深さ、そんな気持ちをも人間は持ちうるのか、という「発見と創造」が出来ていなかった。寺島しのぶ演じる人間がなぜ死を求めたのか、そして遺された人間の心模様を描く、という点でやはり娯楽作以上の表現じゃあなかったと思う。(唯一の例外は富司純子の出演シーン。そこだけは演技の濃密度が違った)    メインテーマであるところの「愛の絶頂で私は愛する人の手で死にたい」という気持ちって、やっぱり裏を返せば「男側の究極の視点」なんだよなあ。だって「愛した女を一番いいときに俺を大好きなまま死なせた」というロマンを、渡辺淳一は描きたかったんじゃなかろうか、と思うんだよね。その視点が強くラストシーンには現れている。が、はっきり言って蛇足だと思った。なぜなら愛とは確かめ合うものじゃなく、信じることだと思うから。

 と、カッコつけてシメてみましたが明日はキャストについてちょっと蛇足雑感を書いてみます。


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