壽 新春大歌舞伎(17日所見)

いつみても同じデザイン

 こんにちは、そのまんま東の当選に驚いている白央篤司です。ていうか……そんな期待されてたなんて! 知らなかった……ていうか信じられない。結構自分のものさしと世間のズレってあるんもんですねえ……。どーしてもあの方「権力主義」側の人に見えて仕方ないのだけれど。田中康夫のように県職員ともめることもなく、実にスムーズに体制に馴染んでいくタイプの人にしか思えない。改革を望むという市井の声と真反対に見えるんだけどなあ……私がおかしいんでしょうね、さてどうなりますことやら。なーどと知りもしないことを書くより今日は歌舞伎雑感。東銀座木挽町からお届けします。長いですよ。


■■壽 新春大歌舞伎(17日所見)
http://www.kabuki-bito.jp/theaters/kabukiza/2007/01/post_6.html


 番組(歌舞伎では演目のことをこういいます)の賑々しさにつれられて久々に行った歌舞伎座。繭玉が下がる場内はやっぱりおめでたい感じがあって、いいなあ、ちょっと浮かれるなあ。あの桜色と白のまんまるが枝に刺さっているだけなのに、どうしてこうも風情が出るんでしょうね。あ、ひょっとしたらお正月らしいことをすっかりやらない子供たちってのは、こんな気分にならないものなのかも知れないな。初芝居なんて洒落たことはうちでもしなかったけど、初詣にいってお飾りのある路地を通ったり、どんと焼きに行ったりとか、そういった一連の正月的おこないがあって、このめでたさって年月かけて刷り込まれるもんだろうしね。


 
 と、いきなり話が逸れてますね。本題、と行きたいところですが……結論からいうと今回の感想はひとこと「ふざけるな勘三郎」、これにつきちゃうんだなあ。うーん挑戦的な書き出し。
 ま、早い話が「投げちゃった」んですよ中村屋。演目は「春興鏡獅子」、分かりやすくいうと、歌舞伎っていうと必ず知らない人がイメージするもののひとつ、長い毛を振り回すアレね。長唄の大作にして歌舞伎舞踊屈指の難曲だが、お殿様の前で小姓が所作事(踊り)を踊る、お見せするという設定。とっても手のこんだ振りつけで、間も細かく、スローからアップまでテンポも緩急自在、そのうえ袱紗、姫扇、二枚扇と小道具の多さ、そして最後の手獅子を使っての引っ込みと忙しいことこの上ない。そしてそれらを全部「お主(しゅう)の前でやっている」という緊張感を絶やしてはいけない、観客に忘れさせてはいけないという……そうですね、ピアノっぽくいうなら「超絶技巧」、日本舞踊におけるヴィルトゥオーゾ的技術とメンタリティが必要な踊りなのだ。
 出は(登場のこと)は良かった。襟を正し決まるポーズは端正で行儀よく気合じゅうぶん、「おおっ」と期待したのだけれど……なーにが気に入らなかったんだか知らないが、手踊りになって姫扇の最後あたりからとっても「ぞろっぺえ」(これ素敵な日本語です。知らない人は引いてみて)な踊りになっちゃってまあ……肩の使い方、手の動き、足の運び、すべてが気が抜けちゃって小姓だか故障だかわかりゃしない。(こういうダジャレって結構古典筋の人言うんですよ……でも書くもんじゃないですね、反省)
 ああああああ嫌だーっ! 何が嫌って拍手大喝采ですよご見物のみなみな様。もうその拍手してる手を切ってやりたい!(この元ネタ分かる人がいたらたいしたもの。いたらメールください。何かお送りします)ダメだよおそんな甘やかしちゃ。踊ってりゃいいの? 勘三郎だったらなんでもいいの? もぅこういう見物が歌舞伎をダメにしますね。中村座ってのがこの役者をダメにしてるんだろうなあ。ファンしかこない演劇なんてクソ食らえだ! そんなの大衆演劇と一緒じゃないか(大衆演劇ってのはファンをひたすらに大事にする、ってところを突き詰めて極めてる、というだけでこれが悪いなどとはちっとも思っていない)。踊っているように見えつつあぐらをかいている役者を久しぶりに見ちゃったねえ嫌だったねえ。ふんだ。
 後ジテはさすがに貫禄で見せて満足したけれども、菖蒲と巴のキレはさほどでもない。中日(なかび)だからとか「そんなトコもおとっつあんそっくり」とか、そういうことはどうでもいい。(「中日はダルむんだよね」とか「先代もよく一列目に嫌いな奴がいると投げちゃってねえ」などと芸談モドキみたいなのを喜ぶぺダンティックな輩が歌舞伎には多いのだ)私が見た日に私が満足できなかったから仕方ないのだ。この切符代払うのにどれだけ貧乏ライターが切り詰めたと思ってるのだ。ふざけちゃあいけない。
 勘三郎さん、あなたは本気出したらあんなもんじゃないでしょう。勘三郎という名前をもっとよくする人だと思っていたのに。悲しい。ただそれだけだ。


 さてとこっからは駆け足でひとこと雑記。
○「鏡獅子」補足
小姓から獅子に変わる間、「胡蝶」と呼ばれる二人の少女(精霊?)が踊るのだけど、これがまあ実に間も良く、可愛らしく結構だった。宗生くんという橋之助令息と、鶴松くんという部屋子から引き立てられた少年ふたり、踊りが好きな感じも好ましい。芦燕、歌江が元気なのも嬉しい。
○「金閣寺
となりで某K社の校閲Kが見てたから(しかもこのブログの読者)正直に書きますが所々寝ちゃって……感想書く資格ありません。けれど吉右衛門幸四郎がこの演目でならんで碁を打つなんて感慨深いなあ。こういう若い播磨屋、もっと見たいですね。坂東玉三郎は今まで観たのと比べて特に変わりなく。ただ再確認としては涙で描いたネズミが具現化して姫を縛っている縄を噛み切るところ、ネズミがかみしも(舞台の左右)にはけ花と散るところの決まり、そのドラマ的エクスタシーはこの人にしか出せないものですね。花吹雪と共に決まる大和屋の神々しいこと、「人間以上神以下」というのがこの人は一番いい。精霊を操り自らの味方となすその姿、ファンタジーの世界にハマる玉三郎の特質を堪能できて嬉しかった。
○「切られお富」
中村福助初役。「源氏店」の男と女を取り替えた話ですが、うーん「カット」が素晴らしかった! 短く脚本を編集していいとこどりのこのスタイル、定着しないかなあ。ポンポンポンポン話が進んで爽快。福助は張るセリフはやっぱりクセがあり過ぎて好きになれないが、捨て台詞が実に悪婆(歌舞伎用語で悪い身上の女のこと)的で良かった。褒めすぎだが、昔の章太郎のテープを聴いているような瞬間があり、古い女形さんの調子を髣髴としてしまった。はい、私だけかもしれない。でもなあ……決め台詞がもうちょっと江戸っぽくスッキリしたらいいのになあ。もったいないなあ。出の瞬間のパッと目を引く「主役感」は、紛れもなく若手イチなのだから。黒襟かけた小紋の着付け、中々に粋でいい絵姿だった。坂東弥十郎はちょっと落ちたなあ。独占企業的にああいう役をやっていると隙ができる怖さがある。新造でちょっと出てくる中村京蔵はもう独壇場。ちょっとやり過ぎとも思ったが(笑)。あ、最初福助が半殺しに遭うシーンはすっごいですよ……阿鼻叫喚という意味が分かりましたね、冗談だけど(笑)。高麗蔵は姿はまあまあだが一生懸命な感じがセリフに邪魔になる。もっと「いいかげん」にやったほうがいいと思う。望むべくもないが宗十郎のこういうお女将さんは最高だった。最初の「廓三番叟」は仕事が伸びていけなかった……無念! ジャック!(京屋の愛称)まだまだ元気でいてね!!


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