「毛の伸びよう」と「月曜日のカレーうどん」

若い頃からはえていたのか

 世間ではいろんなことが起こっていますねえ。今週を振り返るに、「人間はここまで耳毛を伸ばせるイキモノなのか!」という感慨を抱いた人も多かったんじゃないでしょうか。そう、いろーんな人が同じこと書いてますが、森進一とバトルを繰り広げている川内康範センセイのことですね。ずるいわアレは……もう子供が教科書の偉人写真にする落書き同様のはえっぷり。どういうホルモンの作用なのか知らないけれど、歳を重ねると不思議な「毛の伸びよう」を示す男たちっているもんですね。よく知られたところでは村山富市前首相の眉毛でしょうか。あと街中にわりといるけど、大き目のほくろからモリッと毛が伸びているおじさんを見かけたことはありませんか? そして皆いちようにそういった毛を抜いたり揃えたりしないのはなぜなんでしょう。見ちゃったほうは結構イヤだぞ。多分……万年生きた亀が(毛なのか藻なのか知らないけれど)フサフサしたものを生やしてるようなのと同様の「おめでたさ」を有難がっているんじゃないだろうか。謎だ。 
<参考資料>


 さて、土曜日は食べ物に関する個人的な記録。


〇「月曜日のカレーうどん 
少し残ったカレーを、温めたそばつゆでといて、カレーうどんを作った。ざくざく切った長葱をたっぷり入れて、胡椒をパラリ、中々に美味しい。甘いそばつゆとカレーをはじめて混ぜちゃった人はすごいなあ。インドとイギリスと日本がお椀の中で三者会談をしている不思議。そんなことを思いながら、なんとなく父を思い出した。


「父・カズヒサ特製カレー」というのは我が家の日曜定番メニューのひとつだった。玉ねぎとニンジンがたっぷり入って、お肉は薄切りの牛肉をこれまたたっぷり入れたもので、なかなかに美味。月に一度は作っていただろうか。
忙しい人で、朝早くでかけ私が寝てから帰ってくる人だった。日曜といえば疲れきってひとことも喋らず、夜中に相撲中継や野球をお供に、ビールを飲むのが唯一楽しそうなひとときだった。私が小学校低学年頃の父、というのはそんなイメージだ。
 それがいつしか日曜に、思い立ったようにカレーを作りだすようになった。夕方ごろからトントントントンという音が響きだす。玉ねぎをたーっぷりスライスして、バターで炒める。甘いその香りが台所に漂うのが、なんとなく嬉しかった。大なべにいっぱいできるカレー。普段は母と二人ぶんの食事だから、大なべなど使うわけもない。日頃見ないその大なべが台所にあるのも、なんとなくワクワクした。


「次の日のカレー」というものがさらに美味しいのも、そのころ知った。なんせいっぱいあるカレーだもの、月曜日の食卓は昼なりよるなりカレーが乗った。
それを食べている私を母・フジエが見ていた。なんとなく、何か言わなくてはいけないような気になった。
「美味しいね、おかあさん」
私は笑って、そう言ったと思う。母は言った。
「あれだけバター入れたらね」
続けて母は「お肉もいいものだもの」と笑った。私はそれ以上何も言ってはいけないような気がして、ただ黙ってカレーを食べた。
 母は、私に言ってたのでも、父に言ってたのでもないんだと思う。「日曜日の男の料理」と「毎日の主婦の料理」そんな意味合いの違いなど、ガキの私には判ろうはずもなかった。
 油は極力少なく、お肉だって家計簿を考えて……そんな細微な考えや、いたわりといったもの。それに気づこうはずもない子供ゆえの不用意なひとことに、ちょっと腹が立っただけなんだろう。そしてフト、毒めいたことが口の端にのぼってしまったのだろう。それはちょっと子供には刺激の強い、スパイスだったけれども


 と、まるでもう両親が物故者のような勢いで書いているが、今でもフジエとカズヒサは仲良く暮している。そして父・カズヒサは今でもよくカレーを作る。クール宅急便でたまに送ってくれるカレー。
 その残りをカレーうどんにして食べた月曜日。


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