映画 『フランドル』

キャストはなんと全員素人

 打ちのめされた。
「戦場と狂気」――戦争が起きている場所はどういうところか、そしてそこにいる人間たちはどういうものか。このふたつの答えに対して監督が出している答えの明確さに、私はやられた。打ちのめされた。
殺戮が繰り返され、凄惨で卑怯な行為が繰り返されるが、この映画はそれらをいたずらに、悲劇や蛮行と意味づけることはしない。ただ、こういうことが行われているという、「引いた」スタンスで描き進んでいく。しかしそれは「淡々とした」というスタンスじゃあない。ゲリラやテロ行為を描いて「なんてひどいことを!」とイージーに見せるならバカでもできるのだ。
 この監督は、「人間の狂気」ってなんだ、ということを自分の言葉として勝ち取っている。様々な経験と洞察、熟慮の結果自分の中に蓄積された「戦争観」がしっかりとある。ゆえに、ただ殺戮やレイプそのものを描いても、セリフにならない何かがにじみ出てくる。その濃密な空気にも、私は打ちのめされた。


 フランスの片田舎、男たちは突然徴兵となって戦場に赴く。そして、ひとり故郷で過ごす女の子が対比的に交差して描かれる。頭と心が空っぽになってしまったかのように、セックスに身を委ねる女の子。しかし肉体の結びは何も満たしてはくれず、やがて精神を蝕んでしまう……。何がそこまでこの子の心を空虚にさせるのか分からない。村の馬小屋なので乞われるままに体をあずける女。銃を撃ち原住民を犯す男。発狂する女。爆破される男……。
最後、生き残って帰ってきたひとりの兵士と、精神病院から退院したこの女の子はセックスをする。それがねえ……全然説明できないのだけれど非常に感動的だった。「愛してる」そうポロリと言葉をこぼれるかのように呟いた兵士。受け入れる女。私は、ドストエフスキーの「罪と罰」を思わせるような、宗教的赦免をうっすらと感じた。狂気の果てを歩きに歩いて、最後に兵士が「愛」という言葉を獲得した瞬間。しかしそれはハッピーエンドではない。愛の「実体」がこれから得られるかどうか、それが肝心なのだ。うーん……抽象的でダメな文章だなあ……すいません、うまくまとめられないが、いまの気持ちだけを吐き出させてほしい。面白いとか気軽に見てね、と薦められる映画では全然ないが、間違いなくすごい映画だ。


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