四月大歌舞伎・中村錦之助襲興行

大入りでした

 襲名はつづくよ〜どーこまでも〜♪ 近年一体何人が襲名してるんでしょう。三津五郎魁春松緑海老蔵勘三郎藤十郎、ちょっと小さいところで松江、権十郎……松竹の故・永山会長の執念を感じますねえ。さて、中村信二郎あらため二代目中村錦之助襲名興行に行ってまいりました。歌舞伎に興味のない人は全然面白くない内容でしょうが、記録がてら今日は感想列記。


<10日観劇・昼の部>
舞踊・「當年祝春駒」
 曽我物の舞踊。中村獅堂(五郎)、勘太郎(十郎)、七之助舞鶴)、種太郎(坊主)、歌六(祐経)。勢いのいい獅堂、着付けが悪く付け帯が途中で緩んでしまう。後見の蝶紫がいい動きでサポート、結び直したのが見事。歌舞伎の強みはこういうところだなあ。これが普通の演劇だったらこうはいかない。勘太郎がいい意味で鷹揚に構え、十郎をニンとして立派だった。動きすぎない役者の踊りが様になっている。そして悲しいのは七之助。何年前だったか、「紅葉狩」の野菊で踊ったときはその清潔な美しさに驚き、若き日の玉三郎を思わせたものだった。しかしなんというのだろう……きつい雰囲気というか、女形役者としての分よりも前に出ようとする雰囲気というか、兄の鷹揚さと対照的な匂いが感じられてしまう。痩せすぎて体の線に女形らしい丸みがなく、そこをどううまく着付けでみせるかが役者の研究だと思うのだけれど、その跡も感じられず。


「頼朝の死」
 真山青菓による新歌舞伎……はっきり書くが、こーいう「ドラマ」を歌舞伎に求める人っているもんなのか。まあ趣味ですけどねえ……クソ真面目というかどシリアスというか。なんだか赤毛物を見ているかのような違和感。私が歌舞伎に求める破天荒さや、一歩間違えれば支離滅裂になりかねないアナーキーさ、ご都合主義と真反対の世界。それに襲名(私は「お祭り」と言い換えてもいいと思っている)だというのにこんな暗い演目でどーすんの。と、好き放題かいてますが、この手の演目になぜか梅玉は似合う。この役者が持つ不思議なバタくささが新劇調のセリフにマッチし、生れもったノーブルさと役が合っていて見てて不思議に飽きない(ゆえに第1場はつまらないのだけれど)。
 福助の出が可憐で品(しな)良く、驚く。しかしこの方の問題はその匂いが全編通して続かないところ。後の嗚咽シーンでは期待を(ある意味)裏切らない「ウッギャアアアアアア」との発狂ぶりで役もクソもあったもんではない。もう開き直って「やっぱり福助はこうでなくっちゃ!」とか思っちゃうけれど……はい、ふざけてます。
 東蔵はこーいう立役だと女形でいきる古き味わいがまったく消えてしまう。芝のぶは流石の達者ぶり。


舞踊・「男女道成寺
 勘三郎の花子、仁左衛門狂言師勘三郎が気合の入った踊りぶりで嬉しいなあ。やっぱり踊りでも魅せてくれる役者だ。ただひとつ「山づくし」のところはテンポが速すぎて、手しか踊ってないのが嫌らしい。あそこまで見せ場を作らせなくても充分上手いのだから、普通の速さでしっかりと腰から踊っている姿を見せてほしい。仁左衛門はここまでぞろっぺえに踊られると返って潔い。はっきり言わせてもらうが手を抜きすぎ。悪い意味での「役者の踊り」その典型。


「菊畑」
 吉右衛門……ああ吉右衛門吉右衛門! やっぱいいなあ! 大歌舞伎を見に来た、とここではじめて思いました。(なんていうか……「浅草歌舞伎」→「伝統芸能チャンネル」→「コクーン歌舞伎」と順にみたような気分だった) もう出てきて立っただけで古典歌舞伎の匂いがする。彼が見得を切った瞬間、私には彼の顔がググーーンとスクリーンのように伸びて、大きな役者絵が舞台に出現したかのように見える。うん、見得は若手・海老蔵も中々上手いのだけれど、この浮世絵を見るような気持ちにはさせてくれないんだなあ。やっぱりこの手の感動を与えてくれるのは、今なら吉右衛門だ(女形だと芝翫ね)そして鬼一法眼は富十郎、もはやお手の物といった感じ。口跡が良過ぎてときに「ひとりオペラ」みたいになっちゃう彼だが、今回は程よく抑えていうことなし。そして新・錦之助ですが、風邪だろうか声をやられていて可哀想だった。姿は文句なく美しく、虎蔵の花道の出など凛として水仙の花のようだった。四代目時蔵と共演したこともあるさる舞踊家の方と一緒に拝見したのだけれど、出てきた瞬間「よく似てるわねえ……」と溜息をつかれていたほど。これからどういう役者になられるのか、楽しみ。


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