アメリカ・銃乱射事件に思う

May they good rest in peace.

 自殺、というのがなんとも……ああ、うまく言葉が見つからないが、「なんて陰険な男だろう!」と思ってしまう。余りにも暗く嫌らしい無理心中……と、ありきたりの呪詛をつぶやいてしまうが、米・バージニア工科大学の32人が犠牲になった銃乱射事件のこと。「死なばもろとも」という考え方がもうそれだけで腹立たしい。なんていうか、自殺決行のテンションを上げるために32人を殺したのだとしか思えない。普通の精神状態じゃ引き金が引けないから、ひとり殺して後戻りできなくして、あとはマックス・ハイになるまで殺し続けて……長すぎる死への助走だ。


 私がこのニュースを知って最初に思ったのは、アメリカ版「津山30人殺し」(横溝正史の「八つ墓村」や松本清張の「ミステリーの系譜」という本でも取り上げられ、山岸凉子の「負の暗示」という作品で漫画化もされている、昭和13年岡山県津山市で起きた連続殺人)なのか、ということ。報道によると犯人は被害妄想と劣等感にこり固まって、ネガティブな自己顕示欲に取り憑かれていたように思えたので。俺は本当はすごいんだ、でも状況や経済が許さないから今はこんなだけれど……といって逆恨みが募りに募った結果のパラノイア、という至極シンプルに「犯人自身の人格障害」が問題なんであって、アメリカの銃社会問題とか、移民問題、人種差別といった問題にスライドするのは危険だなあ、そういう社会的背景でこの犯人がちょっとでも弁護されるような結果になったら嫌だなあ、と思った。
 今日の「サンデージャポン」(TBS系)で八代英輝弁護士が、銃規制をどう思うか、というようなテーマに関して「厳しいようだけど、アメリカが選んだ道。銃を持つという選択をした以上、こういうことが起きる可能性はある」(要約)と言っておられた。まったくその通りだと思う。アメリカでは「こういう犯罪が起こる→ゆえに銃を捨てましょう」ではなく、「こういう犯罪がある→ゆえに銃で自分の身を守りましょう」という考え方が多数派の国なのだ。そう、外国人が「銃を捨てよ」などとあれこれ米国にいうのは無意味であり、ひょっとして「失礼」ですらあるのかもしれない、などとさえ考えてしまった。そこの事件後、大学周辺のガンショップは売り上げが倍増したという。そういう国なんだ。
 私は日頃、たまに横断歩道を渡っていると、「これってみんなドライバーが通常の感覚を持ってるから安全なんだよな。轢き殺しちまえ! ってクレージーになってるやつがいたら終わりなんだよなあ」と、フト思ってしまうときがある。特に靖国通りとかの大きい道路を渡っているとね。アメリカで生きるのって、そういう「生涯で交通事故に合う」ことと大差なく銃撃死の確立があることなんだよな。と、ヘンな感慨を持った。


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