花柳流家元の訃報に思うあの人

なかなかに美人

 日本舞踊のことを知らない人でも、「はなやぎりゅう」という言葉は聞いたことがあるんじゃないだろうか。多分、日本で一番規模の大きな日舞の流派だと思う。その家元である花柳寿輔(じゅすけ)さんが、先日亡くなられた。で、こんな書きだしは失礼かもしれないが、今日書き残しておきたいのは彼女の芸とか仕事のことではない。
(注:寿輔・じゅすけと書いても女の人です。伝統芸能では名前の継承が脈々と続くので、男の子が生まれなかったりすると男名前を女の子が継いだりすることが、よーくあるのだ)
 彼女の訃報を伝える記事の多くに 「1980年に家元制を批判する舞踊家に刺された」という記載が見られた。この一文を読んだ瞬間、私の脳裏によみがえった「花柳幻舟」の四文字……うーん、ものすごく久しぶりにこの名前を思い出したなあ……遥かなる昭和がいきなり戻ってきたかのような、不思議な気分。


 三宅坂国立劇場の楽屋廊下で刃物を持って潜んでいた幻舟、「思い知ったか!」のセリフと共に家元・寿輔に切りかかるも失敗、捕らえられたのはもう27年前。彼女は家元制度、という日本舞踊の根幹を成すシステムに疑問を持っていた。彼女は貧しい旅芸人の一座に生まれ、小さい頃から各地を転々とする。ときには明日のメシにも苦労する日々を送り、あるときは自殺未遂までした。ホステスや電話交換手、キャバレーの歌手などあらゆる職業に就いては離れ、さらには結婚、離婚を体験する、そんな10代を過ごした人だ。その後花柳流の名取になるが、家元制度という壁にぶつかりひとり煩悶する。大流派とはいえ末端の名取。そこから有名になるには、のし上がるには、莫大なお金が掛かる。名取を育ててたりして得られた金も、全てが自分のものになる訳ではない。その上の幹部に一部を上納、やがて幹部になっても中幹部に、さらに大幹部に、そしてすべては家元にたどり着く……血筋も強力な後ろ盾もない自分は、どうやっても世に羽ばたくことなど出来ないのではないか。その思いはいつしか彼女を凶行に駆り立てて……。
 と、まあ大まかにいってこんな人生を歩んでいる人なんだが、前述の解説は彼女の著作や当時の雑誌を大昔に読んだ私のおぼろげな記憶によるものだ。しかし大筋では間違っていないと思う。
 別に、家元制度を論じたいわけでも、彼女のことを茶化したいわけでもない。ただこの人の名前を思い出して私は、なんというか……ものすごく失礼だけれど「シーラカンス」を思い出したような気になった。生まれから含めて、彼女を取り巻いてきた世界のすべてが「昭和」の一側面を象徴するかのような端的なものばかりだ。流浪、芸人、子供ながらに稼ぎ頭、ゲリラ的奇襲、服役、アングラ活動……前時代的な、濃い情念の世界を突っ走った人。オーバーな例えかもしれないが、私は彼女の子供時代を想像すると、映画『砂の器』に登場した日本各地を放浪する親子の姿が被ってくる。もうすべてが、遠い日本の姿だ。まるでパラレルワールドのように、違う国。たった30年ぐらい前だというのに。
 何がどう、というのではなく「そんな人がいた」「こんな濃い人がいた」と、花柳流家元の訃報を聞いて不思議にメモしたくなった。今でもお元気で活動してらっしゃるようだが、相変わらず闘志の人なのだろうか。この訃報に際し何らかのコメントをしているのだろうか。ホームページを見てみたが特にニュースはなかった。


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