原節子、山田優、『浮雲』先週の心辺雑記

完璧な富士額

 思えば、本当にヘンなガキだった。小学校4年生、10歳のとき私は、仙台の「141」というビルにあった本屋さんで一冊の本に出会った。その表紙にドーンと載っていた女優の写真に、私は心奪われた。きれいな言葉で臆せず書くと、陶然としたのだと思う。その人の名は、原節子。後で知ったが、表紙は小津安二郎の映画『麦秋』からのワンショットだった。横顔のその人は、威厳があって、端正で、何かこの世一切と超絶したようなたたずまいだった。多分……当時の僕に語彙があったなら、そんなことを言ったんじゃないだろうか。そうでなければ、あのボーっとした感じ、そのときの気持ちは説明がつかない。結構高い本だったと思うが、その写真集を親に買ってもらって、ずっと読んでいた。母・フジエは「なんなのよこの子……」「どんな好みな訳よ」と不安だったろうなあ。とあるニュースで知ったが、今日はそんな、原節子さんの87回目の誕生日だそうだ。まだ鎌倉に健在だという。
 それから暗記しちゃうぐらいその本(「永遠のマドンナ 原節子のすべて」出版協同社 昭和62年刊)を読んだ。埼玉に転校になって中学に上がった。その本に書いてあった彼女の出演作が、フト見た新聞の映画欄に載っている! そこは並木座、という銀座の名画座だった。これまた親にねだって連れて行ってもらった。そして通った。それから映画の本を買えるだけ買って、古い日本映画にのめりこんでいった。その当時使ったお金のまだ10分の1も回収して出来ていないが、そんなことが今、たまにメシの種になっている。フジエと父・カズヒサに還元できるほどにはなっていないが。世の親御さん、「ヤッバイんじゃねえのこいつ」と思っても、子供が熱望してることは叶えてあげてもいいかもしれませんよ。
 日曜日は恒例、1週間の心辺食雑記。


○今週のものごと
1:表参道の某レストランにて山田優を目撃。うーん……綺麗ですねやっぱり。というかまあ、それだけなのだけれど(笑)。私がこういう「旬」系の方を見かけるのは結構珍しいことなので一応書き記しておく。ホントに生意気な意見だが、モデル系の方というのは「キレイだなあ」と感心するだけで、(私にとって)感動はないんですよね。インプレッシブだがムーブではない。ひとの心を打つほどの「綺麗さ」というのは、その人に対して、いかに多くの人々が「この美をより美しく、多くの人に見せたいか」と思わせ、動かした「サムシング」の力なくてはありえないと思う。グレース・ケリーヒッチコックの映画で、アヴェドンの写真やウォーホールの作品でエリザベス・テイラーが圧倒的に魅力的なのは、そーいうことじゃないだろうか。


2:サム・ライミ製作の映画『ゴースト・ハウス』の試写。これについてはまた。今週のNHKは充実していた。「芸能花舞台」では日本舞踊家猿若吉代による長唄「菖蒲浴衣」が素晴らしい出来で感動的だった。身体と精神表現の美の極致だと思う。また、大貫妙子の特番もよかったし、アーカイブスでの再放送「今朝の秋」も素晴らしかった。やっぱり民放ではこんな番組はありえない。


3:早稲田松竹にて成瀬巳喜男の『浮雲』を観る。くっついては離れ、別れてはまたよりを戻す、半端者ふたりの流浪の愛。昔は分からなかったが……これすべて「別離=プレイ」そのものなのですね。
 このふたりの「付き・離れ」は、精神的なセックスに他ならない。満たされながら「別れるために」くっつく。愛する男が病的に「つまみぐい=セックス」を繰り返すことに悩む女。その「悩み」こそが一番の「喜ばしき悶え」となる女。ゆき子にとって、懊悩している時間が一番の「生きる悦び」なのだ。そして愛の不実をなじられ、自らのダメさ加減に遊ぶような時間が一番「生」を感じられる男、兼吾。サディズムマゾヒズムの両極を持ち合わせてしまった二人、その駆け引き具合がまさにピッタリと当てはまる相手を見つけてしまった二人。メンタリティの上で最も「ソリ」の合う二人は周囲を不幸にしながらも、愛し合うことを止められない。それは不幸なのか幸福なのか、誰にも分からない。
 ラストシーンの兼吾の涙は、悦楽の果てに死ねたゆき子に対する「憧憬」の涙に思えてならなかった。
 うわー今日いつにも増して長いですね! 明日に続く……。


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