噴飯……山口県母子殺害事件に関して

■「噴飯」 [名]スル《おかしくて、食べかけの飯をこらえきれずに噴き出す意から》がまんできずに笑ってしまうこと。「彼の弁解は―ものだ」(大辞泉より)


 ったくよォ……ナメんじゃねえぞコラ! などと似合いもしない不良言葉がつい口から出てしまう。山口県の母子殺害事件ですが、ニュースを聞くだに「噴飯」という言葉しか思いうかばない。笑っちゃう。そして……怒っちゃう。
 私はこの被告のことを断罪するつもりはまったくない。私が憤っているのは、弁護団の「やり口」だ。被告の殺意否定と幼児性の執拗な強調、お仕事立派にこなされていると思いますが、なんていうか……「なりふり構わない」感じに、思わずカーッとしてしまう。そして一通り悪態が心に湧き起こったあと、ゲンナリしてしまう。うーん……精神衛生によくないなあ。

 なんといっても私が許せないのは、山田風太郎さんの「魔界転生」を持ち出したことですね。母親を殺害後、死姦した理由に「この作品にそういう復活の儀式が出てた」と被告は語ったらしいが……独断と偏見だけで書くけど、私には彼が、犯行の時点であの本を読んでいたとは到底思えないのだ。犯行後、獄中で書いた彼の手紙を見たことがあるが、小学校高学年レベルの漢字すらロクすっぽ書けていないのだもの。そんな子が、文庫にして上下巻分かれるような長編小説を読解する能力があっただろうか。死んでしまった赤ちゃんを「ドラえもんが何とかしてくれる」と天蓋に入れるような精神年齢の子が、そもそも長編小説を読もうと思うだろうか。誰の知恵か知らないが、いくら弁護とはいえ、これは作品に対する冒涜としか思えない。     
 弁護も人権も大切だが、お願いだから文学や漫画にとばっちりを食わせるようなことは止めてほしい。フィクションの世界で、人間の様々な猟奇性と精神の不思議を描いている立派な作品はいくらでもある。それらが犯罪を助長しないことは、既に歴史が証明していると私は思う。創造欲とアーティスティックな衝動、そして労力と共に産み出された「作品」、それらは等しく尊いものだ。美しいものだ。それらに責任の一端を転嫁するような弁論……ああ、詭弁だ!


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