グラジオラスから思い出すヒッチコック

『マーニー』

 グラジオラスのことをネタにして昨日の日記を書いていたら、久しぶりにヒッチコックの映画を見たくなった。『マーニー』という映画に、確か赤いグラジオラスの花が出てきたはずだ。夏らしい、燃えるような赤い色のグラジオラスだったが、どこか意味深げな、暗いニュアンスを漂わせる小道具として用いられていた。生命力あふれる夏の花が、死や破滅のメタファーとなる不思議――ヒッチコックのすごさの一端だと思う。

 ほんとうにうまい監督や漫画家というのは、何も物言わぬ「もの」に、何かを語らせる。花が本来もつ華やかさやロマンティシズム、それ以外の何かを語った代表的な例は、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『ひまわり』だろう。喪失感に打ちひしがれるソフィア・ローレンと、見渡す限りのひまわり。対比でもあり、悲哀感の扇情ともなり、無常というもの、もののあわれを示す役割をも、ひまわりは担っていた。映画でしか表現できない叙情だったと思う。
 と、このブログをアップするには、『マーニー』にグラジオラスが出てきたかどうか、ちゃんとチェックしなければ。久しぶりでフィルム・アート社の素晴らしき連作シリーズ「ヒッチコックを読む」を開いてみた。そしたら目次のところ、ヒッチのフィルモグラフィーに鉛筆でチェックマークが書き込まれているじゃあないか。あははー懐かしいなあ、そうそう、一本一本見ては題名の上にチェックをつけていたんですよ、私。高校生だったなあ。それが増えていくのがなんとも楽しく、嬉しかった。(『マーニー』にグラジオラスは使われてました)
 うーん、こういう気持ちを忘れているなあ。グラジオラスは姿勢だけでなく、ちょっと初心も思い出せてくれました。と、今日はいつにも増してさらにとりとめない日記だが、こんな連想雑記もたまにはお許し下さい。


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