楳図かずお邸はメンタル・バイオレンス!?

いつまでもお元気で

 漫画家・楳図かずおさんが新居の壁を紅白のツートンにペイント、そして屋根に「マッチョメマン」なるキャラクターを模した屋根を取り付けようとしていることに住民が反発、差し止めを申し出たという事件に関して。もうね、いろーんな人が「ファッショな申し立て」「住民は差別的」という観点で、ユーモアと皮肉まじえてブログやら媒体に巧いこと書いてらっしゃる。うん、私のようなヘッポコ・ライターが何も付け加えることはない。基本的にマスコミも多くは楳図さん側に同情的なようだしね。(あ、作家で翻訳家の目黒条さんという人の3日付のブログに、感情と論理の配分がとても素敵に、この問題についてまとめてらっしゃいます。興味のある人は検索してみてください)
 とはいえ、私もちょっとこの件についてノッてみたいことがある。それはこの住民側、原告のおばさんのことだ。

「初めて見たとき、ギョッとしました。あまりの禍々しさ、あまりの気味悪さに。あたくし一生忘れないでしょう。まさに青天の霹靂です。これはもう色彩の暴力であり、形の暴力。常軌を逸した行動で、こんな不快な建物のそばで暮らすのは苦痛でしかありません」

 と、のたまってらっしゃいます原告のおばさま。うーん……なーんて大仰な、芝居がかったレトリックを遣う人だろうか! 日本人にしては珍しいメンタリティ。学生時代、田中真紀子さんとかと一緒に新劇にカブれてたタイプの人っぽい。そう、語り口調がねえ、真に迫っているというか……「あたくし本当につろうございますのよ」と心せつせつ、思い入れタップリに言うんだなこれが。ああ、不謹慎とは思いつつ、笑っちゃうよ御免なさいねえ。
 この可笑しさというのはひとえに、「自己陶酔のみっともなさ」なのだ。このおばさんには悪いが、彼女は悪趣味なデザインに耐えられない「繊細な感性の私」に酔っている可笑しさがある。自分のナイーブさ、センシティブな部分を声高に主張するという矛盾。それを臆面もなくやってのける間抜けさゆえに、笑っちゃうのだ。誰も分からない例えだと思うが、清水ミチコの「チャリティの歌」のような間抜けさ。チャリティをやってる、ということを吹聴してまわる人のような薄ら可笑しさ。いやおばさん、そんなマスコミ相手に色々心の憤懣を語って回れる神経なら全然耐えられるでしょう、と瞬間思っちゃう。
 大体「住民側の申し立て」ってったって原告2人ですよ! 向かいと隣だろうか、あきれちゃう。景観条例があるわけでないし、ほぼ住民側要望はのまれないだろう、という意見が大方のようだけど、当然だよなあ。たった2人の意見で家が建たなくなったら大変じゃないか。うーん……楳図さんはイノセントなお方のようで絶対にそんな意趣返しはなさらないだろうが、もうひとり誰かと共に、「あまりにも平凡で自己主張性のない、つまらないデザインの家が目の前にあると精神が荒れる」とかいっておばちゃん宅の取り壊しを区に要求してみたらどうだろう。そしたらいかにバカな訴えか、このおばさんも分かるんじゃないだろうか。いや、絶対分からないだろうなあ。それが「おばさんイズム」ってことだものね。


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