『酔いどれ詩人になるまえに』

段々C・ウォーケン化してきたような

■『酔いどれ詩人になるまえに』
監督:ベント・ハーメル 出演:マット・ディロン、リリ・テイラー、マリサ・トメイ
 「町でいちばんの美女」「ありきたりの狂気の物語」などで知られる作家、チャールズ・ブコウスキー。彼の自伝的小説「勝手に生きろ」の映画化で、主演はマット・ディロン。1940年代にアメリカ各地を放浪、日銭を稼いでは飲み、暴れ、ギャンブルに興じ女を抱いたという、ブコウスキーの若き日々が描かれる。

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 ある意味、いい時代だよな、と思う。酒、煙草、ファック、ギャンブル、という分かりやすいアイテムで「ろくでなし」を意味できる時代なのだもの。キチンとした穏健派が「モラル」ってものを、しっかり体現していた時代たったのだ。だからこそ「悪しきもの」がハッキリとしていた。「アウトサイダー」というものが自分をしっかりと「ダメダメ人間」と認識できた。みんなが出来ることが俺にゃ出来ない。じゃあ何ができるか、じゃあ俺のプライドはどこなら生きながらえるか。
 などというカッコつけたセリフを吐くでもなく、主役の放浪ダメダメ男を、きちんとダメダメに、「カッコ悪く」マットは演じている。これが大事なんだ。毛じらみのクスリでタマが腫れ上がり「すれて痛くて歩けねえよ!」というシーンも、きちんとモロケツ出して演じてる。「無頼派のさすらい」「火宅の人」みたいなものを期待しちゃあいけない。この作品の本質は、「あきらめない」という何だか教育映画みたいなものがテーマなんだもの。この作家はゆすりめいたことをしても、ふられても、一文無しでも、あきらめていない。書く。そこだけは「真面目」といっていい。あきらめない。ゆえに完全なアウトローってのとは、ちょっと違う。ゆえに無頼的ヒーローでも「カッコいい」アウトサイダーでもない。
 だが、実際の人生なんてこーいうもんだよな。主人公のチナスキーは、何事においても一番深みまではハマらない男だ。仕事中に酒は飲んじゃうが、「失われた週末」のレイ・ミランドほどのアル中じゃない。ギャンブルにものめり込むが、「麻雀放浪記」の真田広之みたいに生活賭けるほどじゃない。ファックに明け暮れたって「ラストタンゴ・イン・パリ」のマーロン・ブランドほどアニマルじゃない。「ろくでなし」っぽいけど、変にバランス感覚がある男なのだ。 
 だけど、そんなもんだよな、実際。チビチビ飲んでヤッて打って、書くんだよな。ラスト、彼の作品はようやく新聞社に採用される。この作品は私にとって、「正直な男の変種の青春映画」に思えた。
 

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