ジョン・キャメロン・ミッチェル監督の新作『ショート・バス』

サントラも最高!

 本当にこの人は、「こんがらがっちゃってる人」が「ほどけていくさま」を描くのがうまいなあ。彼がいつも主役にすえるのは、心に傷をうけている人々、自分の欲求を小記事に表現できないでいる人たち。そういった人々の描き方の迷いのなさ、ピュアな視点は天下一品じゃないだろうか。
 最初、たたみかけるように激しいセックスシーン、マスターベーションの描写が続く。そのあからさまな展開に違和感を覚える人も多いかもしれない。しかし、このシーンは人間の「孤独」を描いているのだ。「心と体」で繋がりたいな、と思ってセックスするのに、感じているのは「無為」、気持ちよくなりたいのに、あふれくる「寂寥感」。

 心をガムテープでグチャグチャに梱包されちゃったような、自分で自分をがんじがらめにしている人々が、この映画にはどんどん出てくる。スワッピングを楽しむゲイのカップル、オーガズムを感じられない恋愛セラピスト、盗撮に熱中する青年、SM嬢を営む女の子……単体としてはショッキング、というか「キワモノ」に見えるであろうテーマのひとつひとつが、映画を見ているうちに身近な、自分が日常的に隣接している悲しみ、苦しさ、心のよどみとリンクしていく。
 自分を「YES」と思えるか。「愛がほしい」と心から言えるか。
ニューヨークの秘密クラブ(古めかしい言い方!)「ショートバス」を通して、主人公達はこんなテーマと向き合っていく。心のガムテープをはがすために。肌に直接張ったガムテープをはがすと相当痛いのと同様、主人公達は自分に素直に、「私はなにものなのか」ということを考えるたびに痛みを覚える。こんがらがっちゃった自分をまっすぐに伸ばすたび、涙を流す。その涙を流す登場人物ひとりひとりの鬱積した感情と歴史、愛を渇望する思いの濃さと厚みに私はガーンときた。圧倒された。「自分を愛する」ためにみんな闘って、自分を愛せたときに、「人を愛せる」ようになる。
 終盤、そんな自分にたどりつけた主人公達がパーティに興じるシーンは最高! 思わず歌いだしたくなるような、ハッピーなシーンだ。うん、小さい頃、お母さんからもらったクリスマスプレゼントを開けた瞬間のような、嬉しい気持ちでいっぱいになる。愛を素直に求める強い、まっさらな気持ちが映画からウワーッと溢れ出てくるんだなあ。そう、この映画は一つの「人間賛歌」なんだと思う。
 この映画を「キワモノ!」としか思えないとしたら、その人もまた、心をガムテープで乱雑にラッピングしちゃっている人かもしれない。

○追記
さて、この作品はセックス描写がとっても多いのだけれど……うーんフリー・セックスといいますか、身もフタもなくいうと「乱交」っていうんでしょうか、くんずほぐれつなシーンがあるわけですよ。そのシーンで多くの男女が出ているのですが、最後のクレジットで彼らのことを「エキストラ」ならぬ「セクストラ」と表記されていて笑った。あははーこんな英語ってあるんだろうか? まあキャメロンのシャレなんでしょうね。さっすが。


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