「兄いもうと」 鳥越碧:著

「柿食えば…」、から取った装丁だろう

 明治という時代に、2度の離縁をした女。嫁いだ女の自我など許されるどころか、自己主張さえも認められなかった時代に、その女は何を考え、貫いたのか。彼女の名は、律(りつ)。その兄は正岡子規。彼の句や業績を知らない人でも、教科書に載っていたその名前、姿を覚えている人は多いと思う。いきなり砕けるが、私は勝手に「授業中、暇を持て余して落書きされる偉人ナンバーワン」と思っている正岡子規(下の写真参照)の妹である彼女は、何を思い、何を「善しとして」生きたのか。そこに迫るドキュメンタリータッチの小説だ。

 正岡子規とは、えらく簡単にいうと、「俳句・和歌」というものを現在のように、日本文学・カルチャーの立派な一部分として明治時代に再認識、再評価させた人物だと思う。俳句というのは、明治時代には庶民の単なる趣味・お遊びな存在であり、芭蕉・蕪村といった先人の優れた作品は過去の遺物と捉えられていたみたいなんですね。和歌は逆に、知識人・趣味人のひねり出す高尚な趣味として、一般人からは遊離した存在だったよう。それらをまとめて、日本文学の優れた財産にして、偉大な文学形態として、世に問い、「すごいもんなんだぞー、こんないいもんがあるんだぞー、今の姿は間違っとるぞー!」と納得させたということが、彼の第一の業績じゃあなかろうか。勿論その功績として、優れた句を多く残し、後継者を育てたこともあるだろう。「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」なんて句、聞いたことないでしょうか。


 と、前置きがえらく長くなったが、その子規の妹・律の物語。幼いころより抜きん出て優れた文才を見せる兄・子規。その才に対する思慕、尊敬とプライドが育つごと膨らんでいく妹。「誰が分からなくてもよい、私はこの男の仕事を助けるのだ、それは私にしか出来ない!」という信念の強さ、そのパッションが全編通じて炎のように燃え続ける。当時の風潮に逆らうことなく、適齢期に顔も見たことのない相手に嫁ぐも、「にいさまより尊敬できる男ではない」と思えば、「こんなことをしている場合ではない、にいさまを手伝ったほうがよっぽどためじゃ」と思い、行動に移してしまう律。そして二度の離縁。世間の目など気にしない、親の顔に泥を塗ろうとも、恥じることなく自分の思いに生きた、明治の女の一徹。作者の律に対する尊敬の念が文章の隅々から感じられるため、いわゆる濃いブラザーコンプレックスの話なんだが、いやらしさ、えぐさといったものとは無縁。「私の仕事は、にいさまより長生きすることじゃ」そういい切れる女、律。その気概のはがねのような強さに、私は圧倒された。

 正岡子規。他の写真はないのだろうか……いやある。

●お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815
ご意見などはこちら→hakuo-a@hotmail.co.jp


○今日は何の日
昨日からこんなその日の記録をつけてみました。
皆既日食の日。古代では凶兆とされたみたいで、エジプトなどはえっらく「この世の終わりじゃあ」と嘆き悲しんだそう。久しぶりに「王家の紋章」が読みたくなる。あれは一体いつ終わるのか……。愛知県で7万円強奪のためだけに、見知らぬ女性を拉致、ガムテープでグルグル巻きにして殴打し殺害する事件が起こる。ネットで「殺して儲けよう」という目的で見も知らぬ男三人が集まっての犯行。唾棄、という言葉しか思いつかない。犯罪抑止力、とはなんなのか、考えてしまう。私的にはK社のタケナカさんと乃木坂のシチリア料理「ダ・ニーノ」へ。さすが島の料理、シーフードの使い方に特徴があって面白く興味深い。ウニと海水だけで合えたんじゃないか、と思えるうようなシンプルなパスタ、マグロの刺身に軽くパン粉をはたき、かるく「たたき」みたいにした前菜など印象的。ひじょうにサラッとしながらも、旨味の深いグラッパが美味しくて2杯も飲んでしまう。