中村雀右衛門さんのこと

ちょっと朝丘雪路にも見える

 うわー……無念なり! 今月の27日に歌舞伎座で特別舞踊公演があるのだけれど、今日はそのチケットの販売開始だったのだが……取れなかった。いや、まだあるんだけど、「既に一等、二等、2万円と1万5千円のお席のみしかございません」と言われてしまったのだ……今回の公演は中村雀右衛門の「高尾」のみを目的にしていたので(まあハッキリ言って「そこまでは出せない」という理由で)……涙を飲んで諦めた、くっそお。チケットホン松竹の電話口のおばさまの声が「ごめんなさいねえ」としおらしいトーンで、更に哀感が増すなあ……昨日の先行販売であらかた売れてしまったのだろう。玉三郎地唄の「雪」と人気演目「鷺娘」を踊るからだろうが……ああ、悔しいよお!
 私は雀右衛門のファンだ。いつまでも消えない艶、濃厚だがいやらしくない色気、大女形の格……この人が古式ゆかしい女形の最後の人だと思う。というか……大幹部では戦前育ちの最後の人だもの、むべなるかな。最近ドンドン出番が少なくなって、「やっぱりもう一ヶ月公演は無理なのかなあ」「羽左衛門さんみたいに、月あたまにちょっと出て休演してそして……」ってな具合に勝手に悲嘆にくれていた(しかし先日の「俳優祭」では表彰式のプレゼンターとして元気そうな姿が見れたので、ちょっと安心していた)。でも、その舞台姿はもう見れないのかと危惧していたのだった。もう一度観たいと、熱望していた。
 男が女を演じる、ということの妙味を教えてくれる最後の人だと思う。玉三郎はどこかジェンダーというものから遊離した非人間的存在な部分があって、「歌舞伎の女形」という範疇に留まらない存在だものなあ。煮ても焼いても「歌舞伎の女形」という存在は、彼一代で消えるものじゃあないだろうか。私は以前、京屋(雀右衛門の屋号)の「藤娘」を観ていたとき、大昔の大津絵から抜け出てきた娘が踊り、魅せ、そして最後、また絵の中に帰っていくかのような錯覚を覚えた。歌舞伎舞踊の名手だけが与えてくれる幻想の世界だ。彼の舞台がもう一度観たい。1万5千円…………今夜は「昭和枯れすすき」でも歌うか。


○昨日は何の日
台風直撃だが、新宿はザーッと降ったり小止みになったりを繰り返す。渋谷にてちょろっと仕事。道玄坂「七志」のとんこつラーメンを食べて帰る。結構餃子がうまい。新宿駅から家にへ向かう20分の間、風に負けて、深海の花みたいになってるビニール傘を5本見た。家の窓をキッチリ閉め切って寝ようとすると、風がドンドンと壁を鳴らし、窓を叩く。怪談「牡丹灯篭」の新三郎も、こんな気持ちだったのだろうか。寝しなに司馬遼太郎坂の上の雲」5巻目を読む。


○お知らせ
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