分かりやすい言葉

福福しい……

週刊新潮」(9月27日号)の福田和也氏連載「闘う時評」が、非常に分かりやすく、まとまった文章で面白い。題して「国民を騙せなかった総理の悲劇」。戦後の「総理像」というものを、世代を三つに分けて論じているが非常に明快、重ねていうが、分かりやすくて素晴らしい。マスコミ露出の多い福田さん、ご自身のキャラクターというものはそうでもないのだけれど(笑)、この方の書くものはいつも簡明直截にして整然とされ、好きだ。
 どんなトピックでも、「分かりやすい」ものを私は信じる。何度も熟考された末に得られた「見識」というものは、常にシンプルで、人の心に届きやすいものだ。エッセンス、真髄をキチンと摑んでいる人間だけが「分かりやすい」文章を書き、話をすることができる。そして「分かりやすいもの」というものこそが、優れた「上品な知性」というものだと私は思っている。
 私も陥りやすいポイントなのだけれど……世の中には「すごいだろう」文章というものが多い。歌舞伎やクラシックの世界に多い「観劇歴50年」だの「毎年ヨーロッパを駆け巡り各公演チェック」、それだけに終始する内容のない文章。オーソリティの言葉を多数引用したり、作家たちのバイオグラフィをただ追っているだけの味気ない文章などなど。知性と知識をカンチガイしちゃってるというか、さして思うところもないのに、書く仕事を引き受けちゃっている人が多いというか。
 私は、論文でない限り「知識の量」というものはさして必要ではないと思っている(まあ、もちろん評論家さんはそれじゃダメなんですけどね)。文章の面白さ、というものと「分かりやすさ」は比例するものだと思っている。そして分かりやすさのいのちである、「上質の知」とは、自然エンタテインメント性にも繋がると、私は思う。
 「自分にしか分からない感覚」を、「誰にでも分かる言葉や文章、表現」に置き換えられるかどうか。そこがいのちじゃないか、などと青臭いことを考えた日。って、この文章が一番分かりにくいですね。


○今日は何の日
秋分の日の振り替え休日。昔から思うのだが昼と夜の長さがちょうど半分で何がめでたいのだろう。


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