映画『僕のピアノコンチェルト』

撮影時テオは14歳!

今日は、昨日に引き続き、最近観た試写の感想メモ。

○『僕のピアノコンチェルト
「天才児」とは何か。音楽的神童が、「自分とは何者なのか」という自意識を獲得する過程を描いたストーリー。なんといっても興味深いのは、主人公を演じる少年自身(テオ・ゲオルギュー)が実際にピアノ界のおける「天才児」である、ということ。フィクションがいつしかリアルと錯綜していく。ファンタジックな演出なのに、どこかドキュメントタッチ。
音楽のみならず、様々なジャンルで天賦の才能を見せるヴィトス。ひとりドンドン何でも習得して進んでいっちゃう。同い年の子供はもとより、大学生だって教授だって相手にならない。そして彼の親だって、そんなに早く進まれたら「親」になれない。頭は天才、でも「自分」がまだ出来ていない。なのに方法論だけがドンドン分かっちゃって、何でも出来る。でも、何を僕はしたいんだろう? 普通の子供なら、第二次成長期に親に反抗し出したり、友達と遊ぶほうが楽しくなったり、という時代。そんな時間を「天才児」はどう過ごすのか。


過度の期待とプレッシャー。そして、アクシデント。詳述しないけれど、とあることで彼は、ピアノが弾けなくなる。しかし、抑えていたものが溢れ出すかのように指が動き出した、バッハの「ゴルドベルク変奏曲」の美しかったこと! なんでもできる人が、はじめて「これが心からしたい」と思ったときの活き活きとした気持ちが詰まった、すばらしい音色だった。
 劇中、主人公の演奏は実際にテオ・ゲオルギューによって弾かれている。確かに才気煥発、音色もよくテクニックもあるけれど、ややもすると「僕はできるんだ!」という傲慢な印象を受け好きにはなれなかった。まあ、そういう演出なのだろうけれど。しかしフィナーレ、シューマンのコンチェルトは「音楽」というものに少し敬虔になった、ヴィトス(=テオ)の心証がみてとれる大変素敵なものだった。天才的な進歩を見せる若者にありがちな、「音楽を制する」ような演奏ではなく、自分を音楽に委ねるような演奏、これを感じさせたのは素晴らしい。これは最初からの監督のもくろみだろうか。たった10年ちょっとの少年の「濃厚」な人生譚を、私は楽しんだ。


○今日は何の日
大河ドラマ風林火山」がシリーズ初の1話延長とのニュース。へえ……人気あるんですね。私はこのドラマ、しっかり見てないのにチャチャ入れるのもなんですが、「Gackt」さんですか、彼が出てくると、今まで生身の俳優演じるドラマだったはずなのに、瞬間「コンピューターゲーム」みたいに見えちゃって、目をゴシゴシしてしまう。コンピューターゲームってのも相当な死語だと思うが、今どう言うのか分からないから仕方がない。コンピューターじゃなくてプレイステーションだか何だかかもしれないが。しかし、あそこまで二次元的な雰囲気漂うと感動的ですらある。CGアニメっていうのかな……素晴らしく立体感がつけられた画面なのだけれど、どうしてもやはり平面的になっちゃう人物像のよう。彼の顔立ちは少女漫画のように眼はパッチリ大きく、鼻もツンと高いというのに。この人の「庄内平野」のような顔と、小川眞由美の「奥羽山脈」のような顔を並べてみたらどうなるだろう。どうもならないが、ちょっと見てみたい。どうでもいいついでに、今日初めて「ガクト」の「スペル」を知りました。毎日勉強。


○お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815
ご意見などはこちら→hakuo-a@hotmail.co.jp