そしてラスト、「どんど晴れ」

お疲れ様でした

 「どんど晴れ」終わりましたねえ……。

 決して熱心なファンではなかったが、主役の比嘉愛未の女優としてのメタモルフォーゼ、(うまくなる、とか決してそういうレベルではないのだけれど)役にシンクロして、輝きを増していくさまは中々に素敵だった。最終回、ヒジョーにオーソドックスな大団円でしたが、この世界はあれでいいのだ。あれこそ、ふさわしいのだ。と、変に強調してかいてますが、これは先週出た「週刊新潮」のとある記事を受けてのこと。


 放送評論家の志賀信夫さんという方がとこんなコメントを書いてらした。

「民話を盛り込んだりして、異色作になるかと期待していたのですが、肩透かしを食らった感じです。大きな事件が“どん”と起こるかと思うと、そうならずに“晴れ”てしまう。盛り上がりに欠けたドラマです」


 うーーーーーーーーん…………そっかなぁ!? 
 ていうか……私の最大の疑問は「どうしてこの人は『朝ドラ』に『異色作』なんてものを求めるんだ!?」ということだ。何を求めてるの信夫。
 私は今回、好視聴率を記録したのはひとえに「直球で、わかりやすいホームドラマ」というベーシックに徹し、「女のひたむきな成長日記」という「朝ドラ成功の黄金律」を、逸脱することなく続けたから他ならないと思っている。予想を裏切らない展開が、(ぬるいようだが)心地よかったんじゃなかろうか。
 悪くいえば確かにマンネリズムの極致なんだけど、「ノッてるドラマ」というのは、視聴者の「予想」を「期待」に変えてしまうのだ。そして、その状態では「マンネリ」は「快ちよさ」に変わる。
「今日は多分『女将対決』の決戦ね」
「でも絶対白石美帆はなんかヘマして敗れるのよ」
 実際その通り、ちょっとしたトラブルの末、ヒロインは成功の道を歩んでいく。
「ほらうねえやっぱり」
 奥さん達大喜び。
「わたしこうなるって大体分かってたわよ」
 すごく複雑な感情だけど……「先が大体見える喜び」という変な満足感ってあると思う。
 私は冗談半分・本気半分で、松竹がこの作品の映画化権を買えばいいんじゃないか、と思っちゃうぐらいだ。「釣りバカ」の常連陣も老齢化が進む中、主役二人の若さ、様々なゲストが訪れては問題を起こす「旅館奮戦記」というヒジョーに“やりやすい”設定、かなりの買い物じゃあなかろうか。


○追記
この作品は、草笛光子演じる「大女将」のファンを多く摑んだことでもヒットの一因になったんじゃないだろうか。こたえはシンプル、60歳以上の人が「続けて見たい」と思うようなドラマが他にないもの。そして彼女の体現する「70過ぎなりの無理しない綺麗さ」というものは、「絶対何か手術とかやってんのよ」「若い恋人が」などと邪推の対象になるようなものではなく、素直に「やっぱり幾つになっても女優さんねえ」と賛美できる性質(たち)のものだったと思う。


○追記2
ひとこと。やーっぱり最後まで「木野花」のなまりには馴染めなかった。特にラストシーンのナレーションなど不自然極まりなく、(音やリズムにこーいう表現もないだろうが)“醜い”とすら思ってしまう。東北弁というのはもっと美しいリズムとレガートのある言葉だ!


○今日は何の日
風邪を引く。明日は引越しだというのに……冷凍うどんを買ってきてネギタップリ、すりおろし生姜タップリ入れてすすり、ビタミンCものをガンガン定期的にのむ。寝る。汗かく。でもちょっとよくなった合間合間にパッキング。フラフラ。でも朝起きたら治ってました。ルルがきく。


○お知らせ
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