放浪記 完結編

こんな色

随分前になるが、女優の室井滋週刊文春の連載にこんなことを書いていた。「30過ぎると、深夜にパッと電話できる友達が少なくなる」――何かハプニングが起こって、たまらなく怖く感じてしまったとき。「誰かに話してスッキリしたいよー!」そう思ったのに、今電話して平気な相手が思いつかない――そんなシチュエーションだった。
「学生時代や20代は、夜中に電話かけても平気な友達がいっぱいいたけど……今じゃ旦那や子供がいたりと、かけるにかけられない人ばかり」そう、ボヤいてらした。
 当時大学生だった私は、「そんなものか」とさして感慨もなく、この一文を読み過ごしてしまった。まさに当時自分は、深夜の長電話を楽しんでいた頃。まだ携帯がさほど普及せず、帰ってきて留守電のメッセージランプが点滅していると、ちょっと嬉しかった、そんな時代だ。そのとき「みそじ」という言葉は遥か遠く、室井滋のエピソードは、想像もつかない異国譚でしかなかった。

 白央篤司32歳、夜中に電話したい相手どころか、「泊めて」と頼む友達探しに困ることになろうとは……21歳の私よ、君が体験する困難は結構なものだぞ。確かに独身、一人暮らしの友人も減ったが、みんな頼まれたらイヤだろうなあ……素直にそう思ってしまった。子供の頃っていうのは、甘えたお願いをできるだけの図々しさもあるし、、人が泊まってもさほど気にならないだけの、「ゆとり」もあると思う。仕事やらなんやらで責任が増えてくると、家での休息や自分だけの時間はかけがえがないもの。
 と、いう観点のもと、私の数少ない友人の中から、甘えたお願いを聞いてくれそうな「鷹揚さ」と、休息タイムを邪魔されても我慢できそうなだけの「呑気さ」を兼ね備えたアイバさんとトネガワさんに泊めてもらうことにした。そして一日だけ贅沢だが、ビジネスホテルに泊まって、ようやく私は「家なき子」から卒業することができた。友達の家を渡り歩いていたから、「家なき子」というよりは「諸国漫遊記」という風情も無きにしも非ずだったが……やっぱり結構疲れた。尾篭な話、新しい家で初めての「小」のほうの用を足したら、「ウーロン茶」みたいな色をしていて、驚きつつ笑ってしまった。「漂白の楽人」「デラシネ」はたまた「旅行中」と名刺のアドレスに書いた「ホリー・ゴライトリー」に憧れた時期もあったけど、私にゃ……無理なようだ。
 とりあえず、寝られるだけのスペース分の荷解きをして、布団をかぶる。いつも(飲まないと)寝つきの悪い私だけれど、その日だけは「のび太」のような速度で、気絶に近い感じで、眠りに落ちた。朝、「ウーロン茶」は「ホッピー」ぐらいの色に変わっていた。まだ若いじゃん、と軽く自分を慰めて、仕事に出た。


○この頃の出来事
1:流浪初日。中目黒で友達のカクちゃんと「いろは寿司」へ。いろいろ食べたが、シャコ刺が甘くておいしい。「引っ越し祝い」とサラッとおごってくれる。粋だねえ……涙でそう。ありがとう、カクちゃん。
2:代官山アドレスそばにあるアイバさんの事務所をかりて仕事2日間。オフィスにいるとやっぱり、はかどるもんだなあ。35歳までに本を出す、というのが目標なのだが、「仕事場を持つ」というのも入れることにする。
3:歌舞伎の中村蝶紫さんと新宿にて飲み。元々萬屋中村歌昇門下だったが、今は獅堂のお弟子さん。高校生からのおつきあい、アベクミコさんも一緒にタイ料理、「バーン・リムパー」にて。可もなく不可もない味だが、話は盛り上がる。今度クミコさんたちと歌舞伎さんで合コンをやるそうだ。相手が歌舞伎役者飲みって面白そうだな。
4:画期的に移動の多い日々だった。仙台、大阪、大阪、京都。2週間でいろいろまわった。帰ってきて、「フジ何チャンネルだっけ」ととっさに思った。

 そして、さらにネット受難の日々は続ている。もういや……。以上、渋谷マンボーより白央がお送りしました。

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