「千手観音 my dream]

一糸乱れぬ動き


 中学以来の知己、サワダに誘われて見てきちゃいました千手観音in新宿厚生年金会館。中国障害者芸術団体によるパフォーマンス、今年の24時間テレビでも紹介されたから、ご存知の方も多いと思う。いやはやまぁ……観音様は「お見事」のひとことなんですが、そのあとから出るわ出るわ。手替え品替えパフォーマンス、というか一生懸命練習されたであろう「だしもの」が次々と。中国楽器演奏、バレエ風お芝居、京劇、ピアノ演奏、そして歌、歌、歌! 「涙そうそう」「乾杯」を日本語で覚えて歌ったり、「We are the world」を合唱したり。何もそんな多岐にわたってやらなくとも……。そしてすべてのパフォーマンスの前に「夢に向かって」「決してあきらめない」「希望をもって」「未来を信じて」などなど、誰もが文句つけられないような「きれいな言葉」を多用したMCが入るんだこれが。ああ……誤解を覚悟で書いちゃおう。カーーーーーーっ、しゃらくさいったらありゃしない!

 全編これ「感動がここに」「ほら素晴らしいでしょう、頑張ってるでしょう」という「念」の波状攻撃。そしてそれに「なんて素晴らしいの」「おばちゃんグッときちゃった」とソラソラスイスイスイとノッてしまう観客。はひぃ……。いや、バカにするつもりは、毛頭ない。しかし、「身体障害者がパフォーマンスをする」ということは、危険だ。どう危険か。それは、受け取り側が「頑張っているねえ」という目で見がちになる、それが危険なのだ。おおよそ、踊りや歌といったものに「身障者だから」という視点で見ること事態失礼なことだ。確かに、健常者の何倍もの研鑽を積まなければいけないことも、多々あるのだろう。しかし、そういった苦節は切り離して、出来上がったものだけを評価するのが「アート」であり、「作品」に対するあるべき姿勢だと思う。「たいしたことないけど、身障者が一生懸命やってるから」という気持ちで褒めてもらったって、彼らだって全然嬉しくないだろうしね。 
 私はその種の「ユルイ」視線を、観客サイドに強く感じてしまった。はっきりいって千手観音以外のパフォーマンスで、ハイレベルなものは極めて少なかったが、それに対してなんかこう……「あたたかいまなざし」で拍手を送る、みたいな空気があったんだよなあ。
 さらには、送り手側(興行者側、ってことね。パフォーマー本人達ではない)にも「ほーら、この子達頑張っているでしょう!」「努力すれば、諦めなければ、できるんです!」(さあ感動してください)みたいな意識が、満々と感じられてしまった。ハッキリ書くけど、プロモーション側が本人達を「見世物」扱いしているニュアンスが(あちらは全否定なさるでしょうが、私がそう感じてしまったのだ)、私には、やりきれなかった。


○付記
ってああ、マジに書いてしまった! カッコ悪いなあ、こーいう青い文章。あ、くどいようですが千手観音は一流のパフォーマンスでした。これは一見の価値あり。あと本当にどうでもいいが、私「千手観音」ってぐらいだから、500人が一列に並んでやるんだと思い込んでました、千本の手を再現するんだろうなあ、って。「厚生年金の舞台って縦幅そんなにあったかなあ……500人並べるかなあ」なーんて真剣に考えたりして。実際は21人だそうです。


○お知らせ

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