男たちの挽歌

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 先日「ロンドンハーツ」で、大沢樹生大澄賢也マイケル富岡黒田アーサー、といったメンバーで「熟年ホストクラブ・結成!」みたいなコーナーをやっていた。もうね、パッとチャンネルを合わせたときに瞬間チルド。パンドラの箱を開けてしまった女……ワルギプスの夜に魔女の集会をうっかり見てしまった村人……親のセックスを見てしまった田舎の中学生……みんな私と同じ叫びをもらしたはずだ。
「見てはいけないものをみてしまったぁあああぁ!」という、声にならない叫びを! 
 ああ驚いた。かつて漫画家の安彦麻理絵さんが、最近の大沢樹生のことを「板チョコみたいなドアのスナックにいるバーテンみたいになっちゃった」と表現していたが、それ×6。かける6なのに、妖しさ100倍。普通「男」って年季が入るごとに、風格とか重厚感っちゅーか「年季入ってます」感が増すものなんだけど、この人たちいい意味じゃなく、「枯れて」いってるんだよなあ。女の子がされがちな「老けたねえ」「しおれたねえ」という揶揄が、そのまま当てはまってしまう。江戸川乱歩が説いた「少年の美のうつろいやすさ」っていうやつか。それともちょっと違う気がする。うーん…………勝手な推測だが、この方々って「老ける」ことが嫌なんでしょうね、女性と同じように、年齢に抗っている感じがする。モテた、売れた、花の時代に(どこかで)固執している感じが、そのファッションや髪型、言動から漂うんだなあ。持論だが、男の場合の茶髪と長い前髪、襟足は若者しか絶対に似合わない。これを年寄りがやると一層老けてしまうのだ。(例外として「前髪」は京本正樹、「襟足」は岩城宏一だけ許す。誰だ俺は)
 たまーに街中で「おばあちゃんどうしたの!」ってぐらい、おしろいを塗って舞台用ドーランのような頬紅をさしている方を見かける。そのとき感じてしまう「見てはいけないもの」感、それに近いものを、私はこのコーナーから感じてしまった。男女問わず、若さに固執する人は何故「アチャー」感を帯びてしまうのだろう。つうかまあ……「あまりしなくてもいい苦労をさんざんしてしまった」というのが、彼らの「しぼみ具合」の一番の理由なのかもしれない。本当に大きなお世話だが。

 クラブ・賢也。「お待ちしています」 「アーサーの、第4ボタンをはずすのは、貴女です」
(こんなことは言っていません) 
○付記
とはいえ、この手の男がたまらないという女層がいるのも事実。獄中にいなければ「羽賀研二」にも是非参加していただきたかった。そしたら完璧だったと思う。なにが。


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