「点と線」雑感・ファイナル

見事な下手投げ

 いやーーーーーー琴光喜すごかったですね、手に汗握ってしまった! 取り組み前の白鵬琴光喜の表情、そこからまずドラマティック! 真剣そのもの(当たり前か)、あの大きな身体の持つパワーが全部「目」に集中したようなその凄み、うーん……これが相撲の面白さだなあ。「ハッケヨイ」の前から、もう動かずして相撲してるんですね、居合いというか、「気」で、力士はぶつかっているのだ。そして引かず戻らず、じっくり腰がせめぎ合う伯仲の勝負。うーん、面白かった。今日はこれで最後、「点と線」の雑感を。

高橋克典
 以前、とある女優さんの付き人をしていたときのこと。新国立劇場の楽屋に、彼女が高橋克典を見舞ったことがあった。ソワレ(夜の回)が終わってすぐ、扉をノックすると、しばらくあって彼はヌッと出てきた。しずくの垂れる髪に、今羽織ったばかりといった風情の白いバスローブ。シャワーの途中に出てきたようで、その瞬間「ムワ〜ン」という音にならない音がした。
 驚いた。なんちゅうか……あまりにも「動物的」、「アニマルむきだし」というか(セクシー、なんて安っぽい言葉じゃ収まり切らない)、うーーーーーーーん、さらに安っぽい言い方になっちゃうが、「フェロモンの問屋」さんというか「セクシャルオーラのなだれ」とかそーいう感じのインプレッション。
 もし克典が「70過ぎのバーさんがさ、『あなたに会ってから復経してしまいました』っていうんだよ」と言ったとしても、私はすぐさま「そうでしょうとも」と頷くであろう。うん、私はドアが開いた瞬間「ジャコウジカ」がピョーンピョーンと、大挙して飛び跳ねてきたような錯覚に陥った。絶対あの男の骨髄からは「ムスク」が取れるに違いない。 と、話は飛びすぎだが、そんな彼の特質が、昭和30年代の刑事には合わないんじゃないかな、と思っていたのだ(それだけかよ!)。
 しかし結果は上々。そういった部分をうまく役に織り込みつつ、品良い演技。「フェイタス」のCMであれほどに感じられる「自分大好き」「自分の体大好き」感がグーーッと抑えられていて、偉い。
 危険な役なのだ。野心ある役者なら、たけしに張り合おう、負けまいと気負ってしまうポジションである。だがその穴に彼は落ちなかった。やり過ぎず、たけしの背中を追うような素直な演技、うん、手放しでよかったと思う。


※ここで書かなきゃいいのに、やっぱり余計なことを書いてしまう。つい先ごろに山崎豊子原作のドラマがあった。それも昭和30年代が舞台だったが、その主演者――何年にもわたり日本国の大多数の女子から「抱かれたい」と切に願われているらしい彼は、いつでも父親役の俳優に対し「負けまい」とする演技に終始していた。演技に、勝ち負けなどあるだろうか。「俺をみせる」という気持ちほど、役者にとって危険なものはない。喜ぶのはファンだけだ。そのファンは、喜びの代価として、「褒め殺し」という一番恐ろしい愛情を返してくるのだから。と、さらに蛇足だが、彼の「エアリー」な髪型は「いつもの俺を見せるファンへのサービス」だったのだろうか。克典は七三分けだったけど。


 さて、手放しで褒めているだけで終わりにすればいいのだが、やっぱりちょっと物足りなく思えた部分もある。以下2点。
柳葉敏郎
 ある意味、田村正和だ。この人のポケットには同じ色のビー玉しか入っていない。投げるか転がすか、それしか出来ないビー玉である。同じ方法論で同じように繰り出されるサプライズのない玉が転がる。戦争経験者で会社社長、官僚をも恫喝でき大臣との強いパイプを持ち……演じるとは、積み上げることができるコマを持たねばならない。ビー玉は、積み上げられない。
夏川結衣
 存在感は、確かに独自のものがある。映画で鍛えられた一種独得の「大きさ」を持っている数少ない女優。しかしなあ……「肺病やみ」にしちゃ健康的過ぎないか!? めちゃくちゃ元気そうじゃん、と思ったのは私だけだろうか。ああ……もしこの役を木村多江がやっていたならなあ。そしてさらに贅沢をいえば、
(ネタバレあり)
ひとりの酌婦の人生など我関せずといった、傲慢で冷たい特権意識が足りない。映画版の高峰三枝子は、ここがメッポウ素晴らしいですよ! 是非ご覧頂きたい。
 などとえらそうに、はいスイマセン。いやー3日にわたって書き残したが、なんにせよ見ごたえのあるドラマだった。編集されて1本のDVDになるだろうが、そのときまた見返してみたい。


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