哀川翔主演「座頭市」

あっしにゃ……

 「うん、映画だったらこーいう場面に違いない!」三池脳裏に広がっているであろう「画」(え)が常に、ビシビシと感じられる舞台でした、哀川翔版「座頭市」。逆にそれがひとつの驚きでもあった。へええ……こんなに映像っぽい瞬間を舞台でも作りうるものなんだ、ってことがね。
 プロローグの座頭市の登場シーンから導入、そしてラストの余韻の作り方。まーるっきり映像だもの。暗転、というよりもフェイド・アウト。役者がハケて(いなくなること)大道具がチェンジしてるのに、編集でカットがつながれているかのような、不思議な感覚。
 それは結果的に面白かったのだけれど、やはり舞台は、舞台。肉体というものをフル活用できる素地、そして「みせ方」を知っている人間が一番目立ってしまう。もっていってしまう。そういう意味で、この舞台は阿部サダヲのものだった。すっごいわこの人。多分、脳内麻薬が唾液とおなじぐらい出てるんだと思う。すべてこの人のパワーが辺りを喰ってしまう。
 すぐれた舞台俳優というのは、「ひとり役者&カメラ」が出来ちゃうものなのだ。芝居をしつつ、クローズアップをつくれる。どういうことか。観る側に対して、まるで映画のズームアップのようにグーーーーーーーーッと自分に気持ちを寄せ、離さない。阿部サダヲの「しどころ」があるシーンで、私は他の人が何やってたか殆ど覚えていない。それは座頭市も同様だ。ただ、哀川翔の存在感、というのはこの人独得にして無二のものだなあ、というのは強烈に感じた。舞台というものに馴染んだとき(それがいつかは分からないが)、映像で発散される個性が舞台的表現のテクニックと合わさったとしたら――それが、私は観てみたい。追記として、松浦佐知子の妖しい情感、野村祐人と青山草太のハイテンションな表現、素敵なクレージーぶりに唸った。最高!
 

○私信
あびこさん、こんな感想でいいでしょうか。また産後!


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