プチ・「藤山直美」論

右は西郷輝彦

■「冬のひまわり」 新橋演舞場 13日
 確かに、面白い。藤山直美というひとは、クラスにひとりはいたような「人気者」タイプの役者だ。うちのクラスは「菅野君」という人がそうだった。彼が授業中、先生に突然指されたときのことを思い出す。答えに詰まった彼は、なぜか腰を左右に「クイッ、クイッ」と振りつつ「なんだっけ?」といった。それだけで、えもいわれぬ面白みが生まれて、私たちだけでなく先生まで笑っていた。他の子がやったら寒さ百倍である。でも、彼がやると吹き出しちゃうほど面白かった。さくらももこちびまる子ちゃん」でいうと、「はまじ」がそういうタイプだろうか。藤山直美は、そんなクラスの「特別児」を何百人も束ねたような女優だと思う。彼女がただクネッたり、子供と枕投げをするだけで、面白いように演舞場がさざめき、笑っていた。

 しかしそんな「特別児女優」と共演させられるほうは、たまったもんじゃない。私は少なからず彼女の芝居を観ているが、藤山直美の芝居における共演者たちほど「下手」に思えることもない。藤山直美の場合、周囲の才能とか演技力、そのエナジーすべてを吸い込んで、養分にしちゃってるんじゃないかと思わえるフシがある。なんとなく見た感じブラックホールっぽいし。
 冗談はさておき、出てきて「腰振った」だけで笑いを取れる「天分」のある人と並んでも仕方ないのだ。それなのに各人の見せ場を作ったりするから「寒い」ことになる。喜劇的パートを振り分けられている人など、もっと悲惨だ。「普通にやっても笑ってもらえないな」と思うのか、声をやたら張り上げたり、オーバーに振舞ったりしてドンドン寒くなる。直美が出ていないときなどまさに「新橋チルド演舞場」、私は風邪を引きそうになった。
 直美は「それでええねん」と思っているのだろうか。役者として、「アンサンブルの芝居」を作ってみたいと思わないのだろうか。「勘三郎との芝居がそうなんじゃない?」という人もいるだろうが、あれは「特別児」が二人になっただけで、アンサンブルとは違う。歌舞伎というのは、パフォーマンスの「リレー・メドレー」的側面が多分にある芝居だが、それに近い。
 私は、自分の庭、自分のクラスのように演舞場を跳ね回り、笑いを取る直美を見ていて「確かに、面白いんだけどさー……」と考えてしまった。ここまで、主演者が舞台に「いる・いない」で満足感の違う「演劇」を上演する意味はあるのだろうか。バレエの「ガラ」のように、通し上演じゃない歌舞伎の「一幕もの」のように、直美は違うスタイルの舞台パフォーマンスを模索したほうがいいんじゃないだろうか。本気でそう思う。


○追記

国広富之(↑)が「直美の婚約者・のちに直美の心変わりにより一方的に破棄」という損な役、かつ出番も殆どない役を丁寧に演じていた。喝采を送りたい。そして新派の高橋よしこ、怪演といってもいいようなリアクションで笑わせてくれた。素晴らしい。最後に小島慶四郎……この人だけですね、直美に笑いで絡んで無傷でいられるのは。ある意味、「クマノミ×イソギンチャク」のような関係に近い。

 ×  = 


○今日は何の日
しかし物凄いインパクトですね上の小島さんの写真。福が来そう。演舞場を後にして、某ワイドショー製作のヤマモトさんとランチ。山形水ラーメンが評判の「Pour cafe」にて。評判どおり、おいしい。すっきりカツオ節・椎茸のダシでさっぱり。夜は打ち合わせを兼ねて編集・ナカガワさんと「マルディ・グラ」にて食事。カスレ、タジンなどガッツリ頂きました。特に写真のキジのローストが美味。



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