12月大歌舞伎夜の部「寺子屋・粟餅」

B/ビュッフェの作品

 久々に歌舞伎観劇。というか先週はすごい週であった。編集・ナカガワさんが誘ってくれたシルヴィ・ギエムを火曜日に、「舞台とか好きなんだー」「へー、歌舞伎行くけどいく?」「行く!」となって木曜日には坂東玉三郎を一緒に観るという毎日。昔のフレーズで「今日は帝劇、明日は三越」なんてのがありますが、まさにそんな感じ。身分不相応な一週間でした。あ、写真は歌舞伎座階段に飾られてる、大きな大きなベルナール・ビュッフェの絵です。私、好きなんだなあー彼の絵が。静謐なのに迫力があって、マイナーな色彩なのにビビッド。歌舞伎座にミョーにマッチしてました。今日は歌舞伎メモ雑記。

寺子屋

市川海老蔵
いかに武部源蔵が大事か、ということの再確認のような一幕。市川海老蔵は様々な美点のある俳優で、押し出しのよさも姿も若手では群を抜いていると思う。けれど、この源蔵は頂けなかった。随所で芝居が「時代」から「現代」に戻ってしまう。特に後半、千代とのやり取りで「ハハ」「ホホ」と感情を隠し笑い合う有名なシーンはまるで「日活スター」。首実検のあと、腰が立たぬシーンでは笑いが起きてしまった。ここは「手が来る」シーンであって、笑われるシーンではない。なーんて偉そうにねえ。最後にもういっちょ、見得のとき目をひんむき過ぎると思うの、私だけかなあ。私はこの人の見得をみるたび、「はいはい、得意なのわかるけどさあ」とひとり語調が荒くなってしまう。いやー、しかしまあ「団十郎予備校生」ってのはつらいもんだ。どうしても「もっと、もっと」と期待してしまう。大変だろうが、頑張ってね若成田。俺に言われたくないよな。


勘三郎勘太郎
松王を演じる中村屋はタップリと丁寧に演じるも……やはりこの人の本領は「世話」にあるのではないだろうか。それが言い過ぎなら、座頭でないときの「時代もの」はいいと思うのだけれど。はい、暴言でした。でも、名セリフ「笑いましたか」のひとことがとても「世話」だった。あれでは泣きに乗れない。
 それと勘太郎、神妙で気の細やかないい戸浪だった。はい。でもね……「うるさいよ」といわれるだろうが、書く。この方、「うなじ」がどーにもこーにもダメなんですね。色気も素っ気もない。あそこまで襟抜いてみせている部分だもの、うなじに「気を入れて」ほしかった。後姿になるたび、「戸浪」から「勘太郎」に戻っちゃう。見てるほうも、「現代」に「戻されちゃう。気持ち悪い書き方だと思うが、「男に触れられたことないうなじ」に見えたのだ。歌舞伎の女形さんは、役の位、年齢によって抜き方もすべて変えるという。雀右衛門と比べちゃ可哀想だが、子供(かむろ)、娘(道成寺系の舞踊)、人妻(吃又のおとくなど)、全部彼はうなじのニュアンスが違う。そこを目指してほしい。


中村福助
これが一番のもうけもの、品良くやり過ぎず、華もあって、いい千代だった。来年の揚巻も見ておこうかな、と思わせるほどに。これまた蛇足ですが、「管秀才の御身代わり、お役に立ててくださんしたか、ただしはまだか」のあと、「様子が……」のあとのセリフって「聞きたい」が多いんですかね。昔玉三郎がやったときは「様子聞かせて下さんせいなあ」と言っていた気がする。


○「粟餅」
坂東三津五郎中村橋之助による常磐津舞踊。男二人立てにしてのバージョン。想像通りでサラッとお上手に終わる一幕。橋之助、腰か膝でも悪いんだろうか。


○今日は何の日
体調が悪くて病院にいく午前中。でも大したことなくて嬉しくなったお昼すぎ。菅井きんさんにインタビューしてテンション上がった午後3時。ひとりで鍋をつついて野菜をタップリとった夜半すぎ。おやすみなさい。


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