青森県・18歳の母妹弟殺害事件に思う

どうかやすらかに

(今日の私は、おかしい。なんというか……気持ち悪いぐらいマジですね。いつものおバカ日記が好きで読んでいてくれる方は、どうかスルーしてほしい。さて本題!)

 私の両親が住む青森にて、ひどい事件が起きてしまった。お正月に帰省して歩いたばかりの八戸駅で、18歳の少年が緊急逮捕。雪降る日に彼は、長いサバイバルナイフを握りしめていた。それは、自分の母親と、妹弟のノドを切った凶器。

「自我」ってなんなんだろう。どーいうことなんだろう。と、似合いもしない哲学風な書き出しだが、本気でそんなことを考えてしまった。青森県八戸市で起きた、18歳の少年が母、弟、妹を刺し殺した事件。テレビから流れる「母親には抵抗したときに出来たとみられる傷が……」そのアナウンスがひどく……率直に書くが、耳障りで、度し難く、やるせない。刃物を持って暴れる子供に向かって断末魔の母親は、どんな言葉を発したのだろうか。

 
 この18歳の歩んだ道は、ワイドショーで聞く限り、けっこうな辛苦あるものだったよう。幼いころ父親が覚醒剤で逮捕、目の前で連行。離婚、生活保護、朝から酒を飲むこともあったという母親。しかし、それは他人が「不幸」「かわいそう」と断定できるものではない。だが、この少年は多分、自分の境遇をいつか転じようとは考えられなかったのだと思う。
 そこで、だ。うーん、うまく書けないんだけど……そういった状況を、「私はなんてふしあわせなんだ」と思うか、「考えたって仕方ない」「一刻も早くこの状況から抜け出したい」と思うか、その差ってなんなんだろう。それは性分、性格、ということなのかもしれない。生まれ持ったもの、といってしまえば、まあ……それまでなんだけど。


 結局人間って、他人のことは分からない生き物だと私は思っている。だからこそ、「分からなくたって仕方ない」という強さが必要だと思う。そしてさらに、だからこそ「間違ってるときもあるけど、自分を分かろうとしてくれている人がいる(いた)」ということが、人間として最大の心の拠り所になるんじゃないだろうか。これが、基本的な「自己と他者の一番美しい関係」なんじゃないか、そう思うんですね。そのことを気づけるかどうかが、「子供と大人の違い」、その差のひとつだと思うわけです。
 「子供」のときに、「大人」になるために、それを気づけるようにするには、どうしたらいいのか。ひとつ単純な答えとして、「いっぱい愛を受ける」という「綺麗なフレーズ」が思いつくが……これも当てにならない。自分では「愛の形」と思っていることが、相手に対しては「まったくもって見当ハズレ」なことが多々あるからだ。「愛は盲目」ってのはけだし名言だと思う。
 この犯人のように、修羅の道を少年時代に通っていても、大人になって見事な愛を獲得する人もいる。そして、彼のように自爆してしまう人もいる。その差は、なんなのか。前向きな性格と後ろ向きな性格、ってそれだけのことなのか。英語でいうところの「nature」、人間としての根本的な本質の問題なのだとしら、神はあまりに不公平だ。


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