高橋祐也発言からコムズカシイことを考えた雪の日・2

一瞬「ホリエモン」に見えてしまった…

 全部想像です。
蝶よ花よと育てられ、まわりも特別扱いをしてくれることも多い。ほしいものは結構な頻度で手に入る。お金のことを心配したことはない。で、いきなりある年になって。
「あなたも子供じゃないんだから、自分で稼ぎなさい」「自分のことは自分で」「仕事しなきゃだめよ」なんで? しなくたっていいじゃん、お金あるのに。あれ、でもなんだか「稼げない男」ってみんな的には恥ずかしいものらしいぞ……やべ、カッコ悪いのかな。なんでいきなり学校終わったらそんなこというんだろう……。いままで楽しくやってきたのに。
 子供への「愛」って、両面あると思う。感情を注ぐことと、ノウハウを教えること、という面。なんだか精神論ばかり最近はもてはやされるけど、実は後者って物凄く大事でしょう。(話は逸れるが私は、「子供」と「大人」の違いって「知らないんで」「教えてもらってないんで」ということを平気で言えちゃうかどうかだと思っている)

 なんていうか……「人さまの前で恥をかかないように」という思いのもと、マナーとか社交術とか挨拶とか作法とか一般常識とか最低限の学力・体力(これはお金を稼ぐための基礎能力、ってことね)とか健康体とか、親は「仕込む」わけでしょう。このへんの「仕込み」ってのが、めっちゃくちゃ面倒くさく、大変で、つらいことなんだろうなあ。この面倒くささと向き合うことが、「愛」なんじゃないかな、って思うんですね。うん、「愛」って人にかける・向かうマインドじゃなく、自分の中で燃焼するエネルギーのようなものだなあ、って思う。と、いきなり精神論。
 最近……どーも「赤ん坊」「子供」との接し方が「ペット」のそれみたいになってる人が、(あくまで私の感触だけど)多いような気がしてならない。「かわいー!」「チョー癒される」と愛玩し、そしてある日突然「そろそろ自立しなきゃダメでしょ」とチェンジ。その「子供」にしたら、突き放された・見放されたって感じるんじゃないだろうか。
 世間を見せずに可愛がってきて(人並みの苦労をさせないで、ってこと。「綺麗なものばかり見せて育てたいの」というような考え方ね)、そしていきなり「もう子供じゃないんだから」「いい加減にしろ」と社会に出す。そのとき「子供」は、キレたり、うつになったり、逃避しちゃうんじゃないだろうか。
 と、高橋祐也がこんな道を歩んだのかどうかも知りませんが、すべて妄想妄論です。まあ、大多数的には、「28歳にもなってんだから、自己責任」「弱いだけ」という斬り捨て方でいいと思う。世の中は怖いところ、恐ろしいところであるべきなのだ。ただ私は、彼がコメントの中で用いた「プレッシャー」という言葉が、恐ろしい。「社会」ってものの怖さ・難しさ・やり取りの仕方って、誰しも何十年かけて培い、知っていくものだ。それをなんのプラクティスもなくいきなり突きつけられたら、いったいどんなプレッシャーがあるだろう。そこが、私は寒々しく、怖かった。


○追記
結局なんのまとまりもない各論バラバラな半端な文章ですね……。というか子育てしたことないガキライターがえらそうに、はいスイマセン。でもねえ、こーいうの書いてみると自分の考えとかが少しずつまとまるんです。どうぞお許し下さい。明日からはまたクソバカなネタを書きますからねー。お見捨てなきよう。


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