倖田來未発言から思うシチメンドクサイ疑問

まだ「丸山」時代

 「倖田來未 の一件って、なんでこんなに長引くんだろうね?」
 友人・マスコが不思議そうに聞いてくる。
 そうだねえ……。
「35歳以上の出産って多くなってるし」
トップセールスの人間に対する反感とか」
「便乗してストレス発散してる人もいるんじゃ?」
 などなど、様々な理由が挙がる。
 私は「エロかっこいい」という言葉に対して、実は漠然と反感をもっていた人が多かったんじゃないか、と思った。(参照:1月8日の日記http://d.hatena.ne.jp/hakuouatsushi/20070108
 ま、それはともかく。この件に関して、はじめて「えっ、そうなの? ビックリ!」という気持ちになったことがあった。それを書いてみたい。彼女の謝罪会見でのひとことが、私を驚かせた。


倖田來未 発言:「言い訳がましく聞こえて嫌なんですけど、普段から自分の言葉の使い方とかがよくなかったと思えてきて、本当に心からそういう風に…一番、女性の愛だったり、子供だったりを伝えてきたことだったので…すみません」
ソース:http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/121121/
「街の声を聞いてどう思うか」という質問に対しての答え(この後彼女は涙をぬぐった)。


 文章にすると意味が殆ど取れなくなっちゃうが、内容としては「今まで女性の愛や、子供のことを一番歌で表現してきたのに、そういった人々を傷つけてしまってすまない」――ということで、いいのではないだろうか。
 ここなんですね、私の驚愕したポイントって。え……倖田さんって「愛」とか「子供」の素晴らしさを伝えるために歌ってきた人だったの!?
 ■ ■ ■ ■ ■ ■

 まあそんなに重く捉えることじゃないのは分かってます。「あげあし取り」と思う人もいるだろう(ほぼ全員か)。でもさあ……歌うことがシンプルに好きなんでしょう? 踊ること好きなんでしょう? 倖田來未のファンでも何でもないが、この人のステージをテレビで見る限り、そーいう気持ちが溢れているのは分かった。それなのに、なーんでヘンなメッセージ性を付けるかなあ。自分が人前で歌って踊るのが大好き、それだけでいいじゃないか。


 最近、「人を愛する喜びを、素晴らしさを、この歌からみんなが感じてくれれば」みたいなこという歌手が増えてる気がする。私はいつも「この手のコメント」を聞くたびに「?」マークで頭がいっぱいになるんだなあ。はい「そんなん真面目にとんなよ」という意見はごもっとも。でもねえ……なーんかイデオロギーを伝えるために歌ってるみたいじゃないか。なんかのプロパガンダか。常々思ってたことだが……ああ、貧乏臭い!


「うた」って、体から自然に「湧きいずるもの」だと思っている。歌手の存在理由は何にもまして、「歌が好き!」っていう純粋な気持ちありきじゃないだろうか。そういったプリミティブな衝動と欲求が、研鑽を積むことで美しい表現になる。その根底にはいつも、「歌う」という行為自体の喜びが溢れている――ってのが素敵な「歌唱」だと思っているわけですね。歌詞の世界、というのはあくまで歌手のイデオロギーと離れたものであるべきだと、私は思う。
 うーんまわりくどいなあ、なんつうかね、古い言葉だが「流行歌手」というのは「世の中を楽しませる、賑やかにさせる」というのが何といってもメイン・テーマだと思うわけですよ。それだけやってくれよ頼むよ。愛だの人生の素晴らしさなんて、伝えてくれなくて結構。伸びやかに、楽しそうに歌っている。ただそれだけで生きることの素晴らしさって充分伝わるもんだ。私は決して倖田來未のことを誹謗するつもりも、嫌いなわけでもない! ただ、なんか変にメッセージ性やら思想を歌につけなくっていーじゃないか。それだけ言いたい。
 なんだか「子供が出来たからその喜びを歌詞に込めた」だの、「命の大切さをこの歌で感じてくれれば」だの、最近そーいう人多いなあ。いらねえっつうの! メッセージ込めるなら「ヨイトマケの唄」の美輪明宏ぐらいの覚悟をもってやれーーーッ! と、完全に趣旨逸脱ですね結論。いつものようにまとまらない雑感記録になって無念だ……。


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