ある監督への謝辞――市川崑さん逝く

いつもくわえ煙草だったそう

「こんなええもん、もうこの御時勢ではでけしまへん」映画『細雪』より・1983
 岸恵子扮する長女・鶴子が、妹の絢爛たるきものを見て呟いたこのセリフ。市川崑の訃報を聞いて、しばらく経ってのこと。このセリフが急に頭の中で響いて、消えた。
 もうあんないい映画、でけしまへん――ふざけるわけじゃないが、そんなことをひとり、呟いた。享年92歳、大正・昭和・平成を生きた名監督が13日、亡くなられた。大往生の部類に入るだろう。90歳でもメガホンをとっていた、最後までしっかりされて、家族に見守られて逝かれた――すべてが奇跡のように素敵で、喜ばしいことだと思う。でも、やっぱり……ぼんやりとしてしまう。ショックとは違う、虚ろな気持ちだ。
 大好きな日本映画は、と訊かれたら私は、迷うことなく『細雪』を挙げてきた。多角的に見てよりすぐれた映画、というと何点か別の候補が挙がってくるんだけど、個人的な好みでは文句なし1位だ。何十回観ているだろう。
 中高校生の頃、谷崎潤一郎ばかり読んでいた。大好きな本、作家の映像化というのは大抵ガッカリして、腹が立って仕方ないという結果に終わることが多い。その数少ない、そして最高の成功例のひとつが、市川崑版『細雪』だと思う。以来、この人の作品を追っかけてきた。 小津安二郎成瀬巳喜男、そして市川崑が、私の……恥ずかしい言葉だが、青春を彩ってくれたと思う。あんなに熱中して映画を観た、とり憑かれた時代をつくってくれたのは、この三人がいてくれたおかげなんだ。
 とにもかくにも……ありがとうございました。映画ってなんて面白いんだろう、という「ワクワク」その興奮を教えてくれました。なんて映画の映像って美しいものになりえるんだろう、という高い感動を与えてくれました。あなたが撮った『幸福』の何気ない河原、『おとうと』の桜、『悪魔の手毬唄』の霧立つ沼。それらの、なんと綺麗だったことか。そして美的構図において完璧と思える『病院坂の首縊りの家』のラストシーン、佐久間良子が人力車の中で息絶えているあのカット。日本映画史の中で最もドラマティックで、美しい「死に様」だったと思います。これからも観てない作品を楽しみに、何度も観た作品もまた楽しみ、味わいます。あなたを忘れません。本当お疲れ様でした、安らかに。


○付記
と……ここで終わればメチャいいひとっぽいが、俗っぽいことも考えている自分を記録しておきたい。絶対に追悼上映が名画座でやるだろうが……『鹿鳴館』ってのはぜーーーったいに観られないもんだろうか。なんでも配給元の事情で公開後まーったくリバイバルされることのない幻の映画なんだそう。観たい……あ、あと『火の鳥』、これもやってくれないかなあ……この2作品以外は割とよくかかるんだが、うーん一挙全作品再上映にはならんもんか。


○付記2

映画は特集上映されるだろうが、彼はすぐれたテレビドラマ演出、CM演出もたくさん手がけている。そういったものも含めて彼のワークスを讃えられる機会はないものだろうか。特におすすめしたいのが、テレビ東京製作「日本名作ドラマシリーズ」の中の『真実一路』、原作は山本有三。一度ビデオになったので大手レンタルショップならあると思う。非常に密度の濃いいいドラマだ。


 映画『我輩は猫である』より、主演の仲代達矢と。これは作品自体はそれほどでもないが、鼻子役の岡田茉莉子が非常に面白い演技をしていて見物。これも結構大手ビデオ屋にある。



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○記録(msnニュースより)
映画評論家・品田雄吉さんの話

 「映画一筋で、映画を作ること以外に趣味はないと言っていた。コメディー映画が好きで、ユーモアのあるとぼけた人柄は親しみやすかった。一昨年の東京国際映画祭で、『犬神家の一族』が完成したばかりの監督と会ったのが最後になった。黒澤明賞の審査委員長として監督の受賞を発表したが、車いすでも元気そうにしていた。奥さん(脚本家の和田夏十さん)が亡くなってからは寂しかったのだろう。次回作の予定もあると聞いていただけに残念だ」

 映画評論家・白井佳夫さんの話

 「日本映画の一つの時代を作った特異な人だった。こういう映画を作る人はもう出てこないだろう。アニメや人形劇を原点とし、初期には『プーサン』など異色の映画を作った。その後、横溝正史の『金田一耕助シリーズ』で一大ブームを作り、大きな偉業を残した。わたしがキネマ旬報の編集長を務めていたとき、対談の内容をゲラの段階で大幅に変更するなど、他の監督には見られない大胆でこだわりのある人だった」

 俳優・石坂浩二さんの話

 「どう言葉にすればいいのか、何をすればよいのか、ただうろうろしています。あまりに多くのことを教えていただきました。思い返すにも、頭の中が乱れるばかりで、40年近く、さまざまな方に力をいただき、ここまで来たのですが、その中でも市川監督は人間として、役者として、映画人として、どうあるべきかを教えていただきました。ご恩返しが何もできぬままに、こう突然にお別れしなければいけないのは、ひたすら口惜しく悲しいばかりです。お悔やみの言葉も浮かびません。どうしても浮かんでこないのです。ありがとうございました。こんな陳腐なお礼の言葉が胸にこだまするばかりです」

俳優・役所広司さんの話

 「『あんたの映画、撮るまではまだ死ねんからなあ』と『犬神家の一族』の撮影の時、東宝スタジオで言われたことを思いだします。身近なスタッフに聞くと『これは誰々、これは役所くん』などと楽しそうに企画の話をしてらしたとのことで、悲しくて仕方ありません。偉大な監督でした。実は昨夜、監督がちょうど亡くなる時間になぜか『どら平太』の時に監督にいただいた絵コンテを眺めていました。残念です」

 女優・古手川祐子さんの話

 「色彩へのこだわりを非常に感じました。特に『細雪』の冒頭シーンは何日もかけて撮影し、熱心にラッシュをごらんになっていた姿が印象に残っています。厳しくも優しい偉大な監督で、名作に携われたことは非常に光栄です」

 俳優・榎木孝明さんの話

 「映画『天河伝説殺人事件』以来、監督とは毎年かかさず年賀状のやり取りをしていました。昨年は『薩摩武士の映画を作ろうと思っています』と書きましたら、『ぜひ一緒にやろう』と言ってくださっていたのに…。また、ご一緒させていただきたかったと残念な思いで一杯です」

 映画監督・岩井俊二さんの話

 「おつかれさまでした。ありがとうございました。天国に行ったらきっと(妻の)夏十さんに会えるんですね。いつまでも仲むつまじいお二人でいられることでしょう。でもいつか、もし生まれ変わって戻ってきたら、また映画作ってください」


 ベルリン国際映画祭に参加している山田洋次監督は13日、市川崑監督の死去について「とても大きなショックで、考えがまとまりません」と言葉を詰まらせた。出品作「母べえ」の記者会見で質問に答えた。

 関係者によると、一緒に映画祭に参加した吉永小百合さんも、「細雪」など多くの市川作品に出演しており、突然の悲報に衝撃を受けていたという。(ベルリン 共同)


○記録2
2月13日に肺炎のため92歳で死去した映画監督・市川崑さんの「お別れの会」が29日、東京都世田谷区の東宝スタジオ内の第9ステージで行われた。葬儀は近親者による密葬だったため、この日は映画関係者ら約850人が参加。「犬神家の一族」など多くの市川作品に出演した俳優の石坂浩二(66)は「ついこの前、このステージで監督と仕事をしたばかりなのに…」と涙ながらに弔辞を読み上げた。
 「監督の大好きな麻雀もない、サーロインステーキも焼けない、こんな会はつまらないと思ってらっしゃるかも…」。トレードマークのニット帽とくわえタバコの遺影に向かって弔辞を読んだ石坂は涙を流し続けた。
 第9ステージは77年の「獄門島」、85年の「ビルマの竪琴」、87年の「竹取物語」で演出を受けた場所。「ついこの前、この天井の下で監督と仕事をしたばかりなのに…」。会の前に行われた会見では「亡くなる1週間前、延期になった新年会を2月20日にやろうというメッセージをもらったのが最後になってしまった」と悔やんだ。
 石坂や吉永小百合(63)中村敦夫(68)らが発起人となったお別れの会には、監督に指導を受けた俳優が多数参加。遺作となった「犬神家の一族」に出演した女優の松嶋菜々子(34)も駆け付けた。昨年11月30日に第2子を出産後、初めての公の場となった。
 女優の岸惠子(75)は、滞在先のパリで監督から「細雪」の出演依頼を電話で受けたエピソードを披露。「惠子ちゃん、日本に帰ってきてな。長女役やってほしいんだけど。ミスキャストとも思うんやけど、なんておっしゃって」と振り返った。
 会場では、監督の劇場公開作品78本と撮影現場の写真などをまとめた17分間の追悼映像も流された。ラストはタバコに火をつけた市川監督が撮影所の奧へ消えていくシーン。参列者は大きな拍手で巨匠を見送った。(30日スポーツニッポンニュースより)