大阪の痴漢でっち上げ事件に思う・2

誰にでも起きること

○2番目に恐ろしく思えたこと
 この容疑者を擁護するつもりはまったくない。ただ、憤りの後に感じたのは「彼」に対しての逸早い「懲罰」。
 私はミクシイというSNSをやっている。ミクシイにはニュース欄があって、各々のトピックが主題になった日記にリンク出来るようになっているんですね。気になるニュースが起こったとき、「世の中の大多数はどんなふうに受け止めているんだろう?」という興味から、私はよく日記のザッピングをしているんだけど、その中にこんな見出しが。
「こいつ、本名で登録してます(笑)」
 そう、蒔田容疑者は本名でミクシイに登録していたのだ。早速誰かによって検索されて、彼のIDがさらされていた。あろうことかダブル登録まで見つけられ、そのどちらにもハッキリとした顔写真が載っている。(現在ミクシイ事務局によって彼のページは閉鎖)

 うーん……この顔写真、何千人もの人がコピーしたんだろうなあ。そしていろんなところで貼られたんだろう。いわゆる、見せしめ。彼のプロフィールに書かれてあったすべてが、コピペされたんだろう(今の社会は腐っている、みたいなことが延々と綴られていた。会社員のような生き方は愚かしいだの云々)。
 話が逸れた。そのことに関して、いい悪いはひとつ置いておく。ただうっすらと、空恐ろしい。寒々しい気持ちになってしまう。これが、「社会的制裁」ってものなんだろうか? そのようにも思えるし、違うようにも思える。
 エディソン・チャンのときにも同じようなことを思ったけど(詳しくは2月29日の日記を参照)、ネットで彼の写真やミクシイID、そしてより深い情報を流すのは……なんていうかな、例えるとこんな感じ。
 よく、時代劇で「市中ひき回しの刑」ってあるでしょう。縛られて町中さらしものにされる、あれだ。その罪人に向かって「この人でなし!」とかいってツバをかけたり、石を投げたりする市井の人々。このね、人前で実際にツバを吐いて、罪人が悲しい顔をしたり、ものすごい形相で睨むのを見たり。自分で石を握って、投げて、当たって痛がる姿を見て、流れる血を見る。そういう過程すべてをふくめて、「石を投げる」ことだと思うんですよ。動機と行為、そして行動後の気持ち(人によって達成感だったり罪悪感だったり、疲労感だったりと様々だろう)、この3つが伴ってない行動。
 不衛生だ。


○お知らせ
ブログランキングに登録。 どうか1日1クリック↓を。
http://blog.with2.net/link.php?198815
ご意見などはこちら→hakuo-a@hotmail.co.jp