ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団「フルムーン」

ピナ・バウシュ

 観終わったあと、胸がドキドキした。
 パフォーマンスを見て、実際に鼓動が早くなったのなんて、いつぶりだろう。その時間は濃密なのに、愉しい時間特有の速さで、時が流れていく。


 最初「休憩を挟んで、60分と90分のプログラム」と聞いて正直、
「うわーモダンダンスでそれって拷問! よっぽど睡眠とっていかなきゃ……」
 などと思っていたが、すべては杞憂。はじめてのピナ・バウシュ体験は、徹頭徹尾、エキサイティングだった。私は「うわー! うわーっ!」とガキのような気持ちになって、身を乗り出して楽しんだ。


 舞台に置かれた大きな岩。そこの下に小川が流れ、雨が降り、ダンサー達が踊りだしていく。披露されたのは、2006年の作品という『フルムーン』。
 小さい頃、様々なものに楽しさと遊戯性、面白さを発見したのを思い出す。田舎の川で、夏に水遊びをしていたとき。跳ねる水しぶきの形が面白くて、何度も水面を叩いたり、高いところから石を落としたり。水しぶきが作る一瞬の虹が見たくて、何度もバシャバシャ跳ね回ったり。泳ぎ疲れて、ふと横たわった岩肌に感じた、あたたかさとぬめり、不思議な官能性。


 水、というものが持つ独得の扇情性――子供の頃に顕著だけれど、不思議に人間は水を浴びると興奮する生き物だと思う。遊んでドロドロになって帰ってきて、お母さんにホースで水をぶっかけられたときの「キャアキャア!」とした気持ち、覚えてないでしょうか。なんかね……あんな気持ちを久しぶりに思い出した。ダンサー達はときに水しぶきそのものになったり、水にたわむれる子供のようになったり、雨になったり……振り付けと共に、自在にマインドが変幻してく。


 そして雨。豪雨、五月雨、小ぬか雨、通り雨……いろんな雨があるように、雨がシンボライズする色々なドラマを演じていく。それは整合性があるものではなく、様々なクリップが現れては消え、リフレインされたり、フラッシュバックして、つづられていく。それは小さい頃にセロファンで作った幻燈のように妖美で、長唄の詞章のように夢うつつな世界だった。唐突だけれど、私はときおり、デヴィッド・リンチの作品を観ているような気持ちになった。


 すべてのダンサーがそのレベルに達していたとは思わないが、観るものに「自然と幻」を想起させた舞踊だった。これは、只ならぬことだと思う。
 満月の夜に雨は降らない。降ったときは、この世と異次元が繋がる「逢魔が時」だという。魔なのかどうかは分からないが、間違いなく、並々ならぬ美しいものだった。


○追記
 はい、こっからいきなりクダけます。「必ず、いる」とさる人から聞いていたが、やはりおわしました「楠田枝里子」さん。相当なファンのようで、公演はほぼフォローするらしい。間近で拝見しましたが……一部で(清水ミチコのことだ)「アンドロイド」「レプリカント」と表現されるのもうなづける。それほどに、隙のない容貌だ。統制的というか、社会主義的な美しさだと思う。


○追記2
 さらに。積年のファンである「木内みどり」さんがおわした。好きだったんですよー小さい頃から。なんか、優しそうで、暖かくて。よっぽど握手してもらいたかったが、やめた。ピナ熱に浮かれた人々で賑わうロビーで、そんなことするのはいかにも不粋だ。何より自分も、踊りの余韻に浸っていたかった。


○行状記録
友達のイシガキさんと食事。渋谷、「ヴィノスやまざき」にて「ジャン・ミラン」のシャンパンとハムやらチーズ。その後バー「チアーズ」に行って飲みなおす。イタリアン「タロス」でちょっと小腹を満たして帰宅。


○お知らせ
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